東洋医学の「心臓」って何だろう

まず注意として申し添えしたいのは、東洋医学の五臓六腑と、西洋医学の臓器名は同名異義であるということです。ゆえに東洋医学の心臓は、西洋医学で言う心臓とは違うものです。現在の意味で用いられるようになったのは杉田玄白以降です。誤解のないように断っておきます。

≫詳しくは「五臓六腑って何だろう」で説明しました。

それからもう一つ大切な前提があります。東洋医学の言葉は、すべて機能に名づけられたもので、物質に名づけられたものではないということです。これから心臓について説明しますが、心臓を物質として考えて読むと分かりづらくなります。あくまでも機能 (=気) についた名称と考えて読み進めてください。

≫「東洋医学の気って何だろう」をご参考に

類経図翼

五臓と「五神」

心臓の主な特徴は、「神(しん)」を蔵することです。つまり、神が心臓の本質です。
神とは何でしょうか。簡単にいうと「こころ」…自意識のことです。「意識」の根幹に関わる話ですので、難しくなります。

よって、裾野から展開していきましょう。

心藏神.肺藏魄.肝藏魂.脾藏意.腎藏志.是謂五藏所藏.<素問・宣明五氣 23>

そもそも五臓 (心・肝・肺・脾・腎) には、それぞれ、「意識」があります。これを五神といいます。五神とは「神」「魂」「魄」「意・智」「精・志」とのことです。

五臓が家だとすれば、五神は家主です。

心臓の「神」
肝臓の「魂」
肺臓の「魄」
脾臓の「意・智」
腎臓の「精・志」

これらは密接に絡み合い、協調し合って、最終的には自意識である神という鏡に移り、我々の「こころ」を形成します。

これら「魂」「魄」「意・智」「精・志」は、神とは違うものですが、これらを総括するものが神ですから、まずはそこから整理しておきます。

「魂」と「魄」

魂・魄は、共同して無意識を形成します。無意識は「こころ」の中の大きな要素です。

魂は「東洋医学の肝臓って何だろう」で説明しました。
魄は「東洋医学の肺臓って何だろう」で説明しました。
よって、魂と魄の説明は省きます。

「意智」と「精志」

ここでは、脾臓の「意・智」と、腎臓の「精・志」を説明します。この二つは、同時に説明しないと、理解できません。陰陽だからです。

2つ合わせて「意志」です。

脾臓と「意・智」

脾藏營.營舍意.<霊枢・本神 08>

▶フィジカルの脾臓
  さまざまな飲食物を摂り込む (求心性)
→ 栄養と糞便に分ける (取捨選択)  
→ 栄養 (営) を活動に生かす (遠心性)
→ 栄養的エッセンスを抽出し「精」として腎に貯蔵する (求心性)

▶メンタルの脾臓
  さまざまな情報・学識を取り込む (求心性)  
→ 役に立つものと立たないものに分ける (取捨選択)  
→ 役に立つ学識を活動に生かす (遠心性)
→ 理論的エッセンスを抽出し「志」として腎に保存する (求心性)

【解説】
食べ物から有用なエネルギーを取り出し、不要な大便を外に捨てます。有用なエネルギー (水穀の精) は活動力に変えられ、その一部は腎臓に精として封蔵され貯金されます。

行動は、精 (体力) と志 (気力) によって生まれます。

意智は、本で勉強したり人に聞いたりして、それを理解し、学識を広めます。でも、生きて色んな事をやってると、葛藤がありますね。しかし、理解が深ければ、単純明快に、どちらかを捨てることができます。「結局こういうこと」と、考えを単純明快化することができます。

理論的に本質を見抜く。そのように意智によってミクロ化されたものが、腎臓の志の働きを、いっそう補い強めます。志の理屈ではない「やるんだ!」という気持ちとは対照的に、意智は、頭の切れる参謀のような冷静さを持っています。

脾為.諫議之官.知周出焉.<素問・刺法論 72 (遺篇) >

腎臓と「精・志」

腎藏精.精舍志.<霊枢・本神 08>

▶フィジカルの腎臓
  全身に散らばる余った元気を集約する
→ 一か所に精として封臓・貯金する(求心力)
  ときに必要に応じて、精を栄養に作り替え、
  身体各所に補填する (遠心力)

▶メンタルの腎臓
  さまざまに広がろうとする感情を制御する
→ 一番目は何かを決定し、志として内に秘める (求心力)
  ときに必要に応じて、志を「やる気」に作り替え、
  脾臓の四肢を動かす力を補填する (遠心力)

【解説】
一か所に封蔵された精、一番目としての志、これらは二つとも臍下丹田に秘蔵されます。

腎臓には銀行みたいに貯金したエネルギーを、必要に応じて引き出し、足りない部分を補い助ける働きがあります。腎臓が貯金したエネルギーのことを「精」と言います。精とは「動に転ずる寸前の静」です。ミクロ化しマクロ化しようとする姿は精そのものです。

メンタル的には、いろんな欲望を全部かなえようとせず、抑制します。臍下丹田の一か所にまとめて封臓するんですね。その中から立派な志 (こころざし) が生まれます。そうする力が腎臓だと言うんです。

志は理屈や理論ではありません。ふつふつと沸く闘志。最後の決定。感情を抑制 (封蔵) できるから正しい決断が下せます。マクロ状態で散らばったエネルギーを一か所に集約 (ミクロ化) して充電していると、そこから真に有用なものが生まれます。それがまた活動 (マクロ) へとつながります。

「やるんだ!」という気持ち。志 (こころざし) が大きければ大きいほど、行動力が大きくなります。これも精そのものです。行動力は脾臓の働きでした。腎臓の働き (精) が脾臓へとつながります。

心臓と「神」

神とは

本題に行きます。

心者.君主之官也.神明出焉.<靈蘭祕典論 08>

神は自意識です。

自意識は、「魂魄」 (無意識) と「意志」を支配します。つまり精神機能の元締めと言えます。

「魂魄」「意志」はすべて自意識という鏡に映ります。神は、「魂魄」「意志」によって支えられているとも言えます。

神の発生

お父さんとお母さんの精が合体して我々の体 (精) ができました。
精は腎臓に蓄えられているもの。「からだ (陰) 」と「こころ (陽) 」のもとになるものです。「こころ」は「からだ」がないと生まれません。だから精は「からだ」そのものとも言えます。精が「こころ」すなわち神を生むのです。

よって、お父さんの精とお母さんの精が合体して神 (こころ) をつくる…と言えます。
精を体 (物質) とすれば、神は用 (機能) です。二つにして一つ、一つにして二つ。これが精神ですね。

神は精によって支えられています。

腎者.精神之舎.性命之根.<華佗「中蔵経」>

心者.五藏六府之大主也.精神之所舍也.<霊枢・邪客 71>

心臓は火

神と火

五行では心臓は火に配当されます。

南方赤色.入通於心.開竅於耳.藏精於心.故病在五藏.其味苦.其類火.…
<素問・金匱眞言論04>

自然界で、火とは太陽のことで、太陽は明るさです。

心者.君主之官也.神明出焉.<靈蘭祕典論 08>

この太陽は、先ほど説明した「神」に通じます。太陽も神も、すべての事象を照らし、明らかにします。これが神明です。

大自然の神明が人体生命において現れるのが「心」なのです。

陰陽者.天地之道也.萬物之綱紀.…神明之府也.<素問・陰陽應象大論 05>

天地の道、万物の綱紀、それが陰陽なのですが、ここに神明が宿る。どういうことでしょう。我々の歩むべき真実という道にのみ、神明は居を得、神の輝きが得られるということでしょうか。

ポンプと火

また、火とは陽動です。陽動とは動きたくて仕方ない性質です。生まれてから死ぬまで、一度も休むことなく動き続ける心臓の側面です。

そもそも心臓はそういう、火のような激しい性質をもっています。その激しさは、精という強くて丈夫な城郭に守られることによって、露見しないようになっています。もし、精が弱くなって露見すると、動悸となります。

生命の本質は「動」です。動かなければ、それは生きているとは言えません。その本質を心臓は最も色濃く持っているのです。だから、心臓が止まった時が死となります。心臓と神 (こころ) は一体なのです。

メンタル・フィジカルの元締め

神とそれを包括するところの心臓とは結局のところ何か。

心臓は生命という機能の元締めです。生命はメンタルとフィジカルという陰陽に分けることができます。すなわち、

  1. 精神機能の元締めです。「神とは」で説明しました。
  2. 循環機能の元締めです。

循環機能とはつまり、生命の肉体的機能そのものです。具体的には血を巡らせる働きで、生死が決まります。循環機能は、精神機能と一対で考えるべき重要項目です。

心臓は血をめぐらせる作用の元締めでもあるのです。西洋医学の心臓と重なります。

もし、元締めが狂うと、部下である肝臓・脾臓・腎臓・肺臓すべてが狂うことになります。
これは1.2.ともに言えることです。

  1. メンタルで言えば、神が用をなさなくなると、結果として「魂」「魄」「意・智」「精・志」も用をなさなくなります。
  2. フィジカルで言えば、心臓のポンプが用をなさなくなると、結果として他の臓も用をなさなくなります。

メンタルとしての心、フィジカルとしての心臓が用をなさなくなる状態が、人の死です。

他臓に支えられている

心臓も神も元締めです。元締めとはつまり社長さんです。仕事は部下の方が有能な部分すらあり、部下に支えられている側面が大です。心臓を治療せず、脾臓や肝臓を治療することが多いのはそういうイメージです。

部下の個性や能力によって、会社の顔である社長さんの評価も変わることがありますね。他臓を治療すれば、結果的に心臓がよくなる。神が安定する。気持ちが落ち着き、体が楽になるのです。

全身を養うポンプとしての心臓が、他の臓器に養われているように、
神 (こころ) は、魂・魄・意智・精志に支えられ、影響されながら成り立っているんですね。

「神の発生」で触れましたが、神は精 (肉体) に支えられています。なので、精を蓄える腎臓が弱いと、落ち着きがなくなったり、カッとしてキレたり、ということになります。精神も精魂も不安定になるのです。

体の養いというのは、それほど大切なものです。

心臓が病むと…

心臓そのものを病んだり、他臓の病気が心臓に影響した時、神が不安定になります。この場合、患者さんの多くは、動悸や不安感を訴えます。

心臓は火で、そもそも陽動の性質を持っています。

神の家である心臓がしっかりしていれば、神は安心して家で暮らせます。家が壊れそうになると、神は外に飛び出して、陽動性 (動悸・不安) をあらわにします。神 (家主) は陽動的なので、もともとどっしりとはしておらず、不安定なのです。丈夫な家があって、はじめて落ち着いていられるのです。

原因が心臓そのものなら、心臓を治療すると不安が取れてきます。原因が他臓なら、その臓を良くすると不安が取れてきます。メンタルの問題はかならず心臓に影響しています。狭心症・心筋梗塞などは、必ず不安感が伴ってきます。

他臓をキッチリと養うことにより、体がシッカリします。その結果、心臓は安らぐのです。

心神を輝かせる

五臓六腑 (生命) の元締めは心臓です。それは「こころ」と「からだ」双方の元締めです。

神が輝けは生命力も輝きます。
生命力が輝けば、神も輝きます。

「こころ」と「からだ」をともに理解し、患者さんとともに歩む。バランスを重視する東洋医学の哲学がここに垣間見えます。「こころ」 (陽) ばかりを見ていても、「からだ」 (陰) ばかりを見ていても良くない。中庸が大切です。

神が輝くということは、正しい生き方ができるということです。
生命力が輝くということは、元気で長生きするということです。

「心神一如」です。
健康は真理なのです。

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