冷たい飲食、無関心のままでよいのか

漢方医学では「形寒・飲冷は則ち肺を傷 (やぶ) る」という。端的に過ぎる表現はこの医学に独特である。

「形寒」とは寒い外気にさらされること、「飲冷」とは冷たいものを飲食することである。「肺」は呼吸や皮膚を健全に保つ能力を持ち、現代医学の肺と必ずしも同じではない。つまり、「形寒・飲冷」によって体温が奪われると、呼吸器疾患や皮膚疾患を引き起こしやすくなる、と解釈できる。

要するに、寒いのを我慢し過ぎたり、冷たいものを飲食しすぎると病気になるので気をつけなさいというのだ。確かに、寒いのを我慢すると咳やクシャミがでたり風邪をひいたりする。乾燥肌や蕁麻疹になる人もある。それはよく分かるのだが、冷たい飲食もよくないとは意外ではないか。

はたして、冷たい飲食が病気の原因になるのだろうか。この漢方理論の正否を知るには、冷たいものを飲食すると、生理学的にどういう変化が体に現れるかを調べなければならない。病理を知るには生理を知る必要があるからだ。

通常、体温が奪われるとそれに見合う体熱が産生され、体温の調節が行われる。体温を奪う原因となるのは外気温と冷たい飲食とが考えられる。ところが医学書をひもとくと、外気温が人体に与える影響は詳しく書かれているが、飲食物温度が与える影響については、なぜか記載がない。

この事実について大学医学部に問い合わせた。外気温については医学書でも学会でも取り上げられているが、そういえば確かに飲食物温度が欠落している、とのことだった。研究はなされていないのだ。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえどおり、皮膚と消化管とでは神経の感度が明らかに違う。ならば、温度変化の感知によってスタートするはずの全身反応メカニズムは、両者同じとはいえない。にもかかわらず、外気温による温度調節メカニズムは解明されているが、飲食物温度のそれはまったくの空白なのである。

冷たい飲食が、呼吸器と皮膚疾患の原因になるという漢方の指摘は、したがって棚上げだ。ただこの2つの組み合わせは、ここ50年ほどの間に急増した現代病と偶然にも重なる。アレルギー疾患である。

環境の人工的変化に著しく敏感で、その変化を受け入れないのがこの病気の本性だ。カーペットの普及によるダニやカビの増殖、杉の人工林拡大による花粉飛散量の増大、車の排気ガスによる大気汚染など、戦後の近代化によって生じた環境変化の多様さは挙げればきりがない。そんな変化の中にアレルギーを引き起こす要因は存在する。ところが実際には、何らかのアレルギーだと分かっていながら、その原因が特定できないものがかなり多い。増加に歯止めがかからないはずである。

考えてみれば、冷たいものの多飲食化は紛れもなくこの環境変化の中のひとつである。冷蔵庫の普及は火による過熱の衛生的な必要性を奪った。加えて嗜好そのもののために冷たいものを飲食することも多く、世代が若くなるほどこの傾向が目に付く。冷たいものの飲食機会は格段に増えたのである。

これらの事実に我々の社会はあまりにも無警戒に見える。体温を奪う第二の要素である冷たい飲食は、戦後の環境変化の中で確実に影響力を増しつつあるのだ。

自然科学の中の純粋な生物学においては、飲食物の温度など関係ないのだろう。だが人類は文明を発展させながら、自然界の前提にはない人工物を人為的に作り出し、それと密接にかかわりあって生活している。本来の生物の「ヒト」の枠をいつの間にか超えてしまったのだ。研究すべき課題の領域もどんどん広がっている。

実際、現代の病気は文明社会を抜きにして語れないものが多い。その最も身近な産物である飲食物温度をこれ以上無視しつつ、人間の生理・病理が説明していけるのか疑問だ。

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