先生、知り合いの奥さんが入院しました。」
「へえ」
「頭の手術したのに、また水がたまってきたから、それ抜くらしいよ。」
「ふうん」
「私は、そんなの嫌。それでね、いま一生懸命書いてるのよ。」
「何を?」
「私がしゃべれなくなった時、お医者さんに読んでもらうの。延命は絶対に嫌だから。」
「なるほど、僕も○○さんと同じ年齢になったら、同じことをするかもしれませんね。
でも、一番肝心なのは、健康でポックリ死ぬことやで。」
「そら先生、そうできたら苦労せんよ。」
「ぼく今ね、ストレスについて勉強してるんですよ。」
「?」
「たとえばね、他人に靴で頭を殴られたとする。」
「うんうん。」
「一方でね、自分で自分の頭を靴で殴ったとする。」
「はいはい。」
「同じですよね、頭に加えられた物理的刺激は。」
「…た、たしかにね…」
「でも、感じ方は全然違う。」
「そりゃ、そうや。」
「僕ね、腹が立つと肩がこるんですよ。」
「?」
「これはストレスが原因で条達 (じょうたつ) が悪くなったためなんです。」
「ジョウタツ?」
「条達はね、東洋医学の言葉で、通りを良くする働きのこと。
きれいな水がサラサラと流れるのをイメージしてください。
僕の場合、腹を立てたから肩の通りが悪くなったんやな。
条達は健康の基本です。条達がうまくいってれば癌にもなりません。」
「なるほど。」
「条達の働きを『肝臓』って言います。西洋医学の肝臓とは違いますよ。
東洋医学の言葉はすべてモノではなく、ハタラキと捉えてくださいね」
「ハイ」
「東洋医学では、ストレスが原因で病気になると、肝臓を治療します。ストレスと肝臓は関係が深いんやな」
「へえ」
「でもなぜ、肝臓を治療すればよくなるか、ということは、結構やややこしんですよ。」
「ふーん」
「肝臓は『魂(こん)』という働きも兼ねています。
魂とは無意識のこと。つまり条達は無意識が行うということ。
肝臓の魂だから『肝魂』ともいいます。」
「ふーむ」
「逆に、自意識ってあるでしょ、自我ともいうな。
東洋医学ではこれを『神』といいます。精神の神はここから来てるんですよ。」
「そうなんですか。」
「『神』は『心臓』という機能の一部とされてる。心臓の神だから『心神』ともいいます。英語で心臓のことを”heart”っていうでしょ?heartは『こころ』とも訳しますよね」
「うんうん」
「心は胸にある、って言う考え方は、世界共通なんですよ。だから東洋医学の『心臓』は血液を動かすポンプとしての役割と、精神の役割の二つを兼ね備えているんです。」
「なるほど」
「でね、東洋医学には『魂は神に従う』という考えがあって、これは太陽と影の関係だとされています。
神が太陽で、影が魂であると。」
「?」
「太陽が動くと、建物や木の影も移動するでしょ。
太陽が動くと影が動く。影は太陽に従うんやな。そういう関係があると。」
「なるほど。」
「つまり、無意識 (影) は自意識 (太陽) によって影響を受ける、ってことですね。」
「へえ」
「東洋医学ってすごいね。二千年前に、こんなことを考えてる。」
「本当やねー。」
「靴の話にもどりますよ」
「…あ、ハイハイ」
「他人に靴で殴られた。痛いと感じるのは心神つまり自意識です。
同時に腹が立ちますよね? これも心神の働きです。」
「なるほど」
「心神は太陽。肝魂は影。太陽が動くと影も動く。
だから心神に動揺がおこると肝魂が狂う。
『狂った肝臓』=『誤った条達』になるんです
誤った条達とは、条 (みち) 無き条を行くこと。道は途中で無くなり、進めなくなります。つまり『滞り』ですよね。肝臓が狂うと、滞り流れなくなる。
だから僕は、靴で殴られたら肩がこる。」
「ああ、なるほど」
「自分で自分の頭を靴で殴ったらどうなるか。
痛いとは感じるけど、腹は立ちませんね。」
「そうです、立ちません」
「心神に動揺がおこらない。だから肝魂も狂わない。
だから肩は凝らない。」
「なるほど」
「人に殴られたとしても、自分で殴った痛み程度にしか感じなければいいんやけど…ね。」
「難しいね」
「まあ、とにかく、心がけひとつで条達が保たれ、健康になれるということやな。
ごちゃごちゃ話長いね。」
「いえいえ。」
「たぶん、認知症も防げますよ、頭も条達は行きわたるんやから。」
「そーかー…」
「実はもう一つ、あるんですよ」
「え?何ですか?」
「他人に靴で殴られて『ありがたい』って両手を合わせる人。」
「ええ?」
「キリストはね、『右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい』って言ったらしい。」
「へえー!」
「実際に、もしそういう人がいたとしたら、どうなるか。
太陽である心神は動揺しない。これは当たり前ですね。
それどころか、ますます光を強くし、輝きを放つんですよ。
すると、影である肝魂も、ますますクッキリ鮮やかになる。
肝魂がしっかりするということは、条達がパワーアップするっていうことになる。」
「ほう。」
「東洋医学は、こうやって、うまくたとえることでイメージさせるんやね。」
「なるほどねー。」
「それでね、最初の『ポックリ』の話やけど。」
「あ… ハイハイ」
「話があちこちで、ごめんなさいね。
九十歳すぎたお年寄りで、
いつもどおり散歩いって、帰ってソファに座って、
お茶飲んでたと思ってたら、そのまま亡くなってた。
あるんですよ、実際。」
「聞きます、聞きます。」
「それってね、さっき言う、水がスムーズに流れるイメージとダブりませんか?」
「わかります、わかります!」
「もしかしたら、この世とあの世があって、スムーズにあの世に行く感覚なのかもしれない。
だだ、僕にはそうやって人が亡くなる姿が、とても自然に感じるんですよ。
きれいな川の流れが、よどみなく流れていくみたいに」
「ああ!本当!」
「○○さんのようにね、終末医療のあり方について真剣に準備することは大切。
それと同時に、いま言う話、心神をいかに太陽みたいに輝かすことができるか。
それも忘れないでほしい。
まあ、人に言う前に、僕自身がんばれって話やけど。」
「先生、治療で良くしてください! でも私も努力しないと…」
「そうそう、起こったストレスは肝魂で治療できる。
体を治すことで解決がつくんです。
でもストレスをつくる原因になる心神には、鍼はとどかないんです。
ストレスをためにくいモノの考え方。
死ぬまでに真剣に準備しておかなければならないのは、むしろこっちなんですよ。
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