移植医療がゴールではない

 臓器移植法の改正によって、脳死は人の死であるという概念が法のもとで認められることになった。その目的は、臓器を生きたまま取り出し治療に利用するためだ。日本の医療もとうとうここまで来たかという思いを禁じ得ない。
 私は医療に携わる者の一人であるが、目指すところは予防医学である。その視点から医療全体を眺めたとき、「事前」「事後」で言うならば、現代医学は病気になってから威力を発揮する「事後医学」が中心だ。その繁栄の頂点にあるのがiPS細胞の研究も含めた移植医療であろう。事前に予防する医学も進みつつあるが、事後医学の発展ぶりに比べると見劣りがする。
 予防医学が見劣りする一つの理由として、いまだ決定打となるものが少ないことが挙げられる。たとえば臓器移植が必要な先天性心臓疾患を予防する手立てがあるか。なければ疾患が生まれてから移植を行うしかないのだ。
 最近話題は下火だが、新型インフルエンザの空港における検疫の模様をニュースで見てふと思った。サーモグラフィーで発熱を見破る技術はすごい。だが未発熱の感染者を見抜く技術はないものか。インフルエンザでなくとも風邪を引けば熱が出る。では、熱が出る前夜にそれを見抜くすべはないのか。
 なぜこんなおかしなことを考えるのかというと、これが予防医学の基本だからである。医療関係者すべての方に問いかけたい。明日、我が子が熱を出すことすら察知できずに、先天性心臓疾患の子供が生まれることが察知できるようになるだろうか。察知すらできずに予防するすべなど思いつくだろうか。
 これは私の研究テーマでもある。何千年もの歴史を持つ予防医学…東洋医学の中には「脈診」と呼ばれる診察方法がある。私はこの方法で研究を続けている。体が良くなるたび悪くなるたび、そして鍼を一本打つたびに脈の反応を確かめる。この作業を毎日繰り返す中で、手首の脈を通じて体が語りかける言葉を理解しようとしているのだ。残念なことは、東洋医学のこの基礎的診察法を、研究し実践している臨床家があまりにも少ないということである。

 たしかに、移植医療は不可能を可能にするすごさを持っている。しかしそこがゴールだと思ってほしくない。病気になることを事前に察知し食い止めることができないために、脳を失った誰かの体まで利用せざるを得ない現状に不満足であってほしい。脳死が人の死という、ある一つの考え方を法律化することで、事後医学こそ永遠、事前予防など無理、と割り切ってしまったかのような感覚を持ってほしくない。

現状はあくまでも現状として、一方で理想をも見据えていたい。

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