小満…気虚の本質

二十四節気の続編、今回は小満です。
今年は、5月21日から6月4日までが小満となります。

小満とは万物が成長して一定の大きさに達する、という意味ですが、それとうなづけるところがあります。院の玄関で肉桂 (ニッキ) の鉢を育てていますが、立夏から芽吹き出した新芽が小満でいったん成長が止まり、薄っぺらく黄緑色の葉が、次第に分厚く濃い緑に変化していきます。今現在はまだヘナヘナした葉ですが、小満の期間中にはシッカリした葉になるはずです。

去年の記憶では8月頃までに、こういう成長、芽吹いては止まりまた芽吹くという成長を3回ほど繰り返して大きくなったと記憶しています。今年は気を付けて観察したいと思います。

なぜこんな観察をしようかというと、治療のヒントになるかもしれないからです。

立春以降、思えばひたすら芽吹きを助け、成長を邪魔するものを排除してきた感が、治療においてありました。しかし、ここにきて、弱りに着目しこれをいったん充実させる必要に迫られています。それは連休前からチラホラ出ていました。

気候的には、春先からずっと寒いと思っていましたが、このところ急に暑くなりました。実際、消防のサイレンをよく聞きます。それほど空気が乾燥しています。ここ飛鳥地方では5月に入ってから雨が降っておらず、5月24日にやっと雨となりました。お天気サイトで過去の天気を調べると4月26日が雨となっているので、実に27日間も雨が降らなかったことになります。こういう極端さは、必ず体に影響します。運気的にも主運が火運・客運が火運・主気が少陰君火・客気が少陽相火と熱づくし。また上半期は陽明燥金が支配するので乾きが強くなっています。そんな機運を反映しているのでしょうか。

今年は木運不及の年です。現代病はほとんどがストレスが原因といえるだけに、木運に関わる年、しかも不及となると複雑化しやすくなる可能性があります。今まで以上に、虚と実をしっかりとらえる必要があると感じています。肝血が不足しやすく、相対的に肝気が高ぶりやすく、肝血不足や肝気の高ぶりは脾気を弱らせるので気虚をおこしやすいと考えられます。よって血虚・気虚といった虚を呈しやすく、一方で肝気偏旺による気滞・邪熱といった実も意識する必要があると思います。

そんなことを考える日々ですが、特に気虚という側面から、これらが精神的にどう影響するかということを考えています。気虚を知るには、血虚と並べて考察しなければなりません。気と血は陰陽だからです。

教科書的にはどう言っているでしょうか。

気虚…精神が疲れて力が入らない。息が小刻みで、ゆったりとした呼吸ができない。大きな声が出せず、しゃべりたがらない。食事がおいしくない。動くと汗が出る。
血虚…唇の色がうすい。眠れない、夢が多い。手足がしびれる。月経量が少ない。月経周期が遅れたり来なかったりする。
気虚・血虚ともにみられる症状としては、顔色が白い・めまいがする・動悸がする、などがあり、気虚・血虚ともに体力の消耗がある体質がイメージできます。

そもそも、気虚か血虚かという判別は、しづらい側面があります。
例えば心血虚はうつでよく見られますが、血虚内熱により、心中がざわつき不安感が襲います。しかし、同時にやる気が起こらないという気虚的な症状もあります。
逆に気虚でだるい・眠い・やる気が出ないという症状を主訴として訴える方でも、気虚なら夜はぐったりと気を失うように眠るはずですが、不眠を訴えることがあります。

これらをすべて気血両虚としてまとめるのは少し乱暴で、そこまで正気の虚は激しいとは言えません。多くは、気虚、血虚のどちらかが主体となるものです。
また、ここに気滞のイライラ、湿痰のジメジメといっ心理状態が加味されるわけですから、かなり複雑になるというわけです。

気虚とは何でしょうか。

一言でまとめると、心身ともに前向きになれない状態、前後推動不全とでもいうべきでしょうか。肉体的に前向きになれない、つまり気の推動作用の低下にによる倦怠感・食欲不振・寡黙。精神的に前向きになれない。前向きになれない分、後ろ向きの部分にこだわってしまう。そういう部分には急に多弁になったりします。これは気滞も関わると思います。気虚があれば気滞も生じるからです。よって、些細などうでもよいことにクヨクヨとフォーカスし、向き合うべき現実に対してはやる気が出ない…という現象が起こると思います。

血虚とは何でしょうか。

一言でまとめると、心身ともに落ち着くことができない状態、上下固摂不全とでもいうべきでしょうか。肉体的に落ち着かない、つまり血の求心力の低下による焦燥感・不安感・活動過多。血虚があれば気実も生じるため、精神的に落ち着かない。知らぬ間に無理をしてしまう。大切な部分に目が向かず、その部分においてボーっとしてしまう。早く片付けなればならない問題が目の前にあるのに、それに気づけない…そういう現象が見られます。

開業して20年、この間に、想定しづらい発想をする患者さんとの出会いが、いくつかありました。そういう発想がどうしても理解できない場合、気虚・血虚などの認識の甘さがあると考えています。治療する側の資質に問題がある。

むろん、気虚があれば血虚を呈しやすく、血虚があれば気虚を呈しやすくなります。

脈で虚を呈している場合、しんどいと訴える方もあれば、しんどくないと言う方もおられます。しんどさの程度は体の弱りがあったとしても、それに比例するとは限りません。気虚が主体になっている場合、血虚が主体になっている場合、また、気虚と血虚の比率などで、現象は変わってくると思います。もちろんそこに気滞が加わって、しんどさの程度が表現されます。これを一つ一つ分析していくことが大切だと思っています。正しい分析があれは正しい治療の方向性が見えてきます。

重度のアダルトチルドレンの特徴を持つ病態は、この分析が欠かせないと思います。

その昔、生きる糧を得るだけで必死だった時代は、夫婦は言い争う暇もなく、酒をあおったり家庭内で暴力をふるったり離婚したりという余裕がありませんでした。みなが均しく農耕に携わり、種をまき、水をやり、収穫し、食す。非常に単純な構図です。子供も大人と同じくそれに携わり、それそのものが感謝をはぐくむ教育でもありました。

しかし、現代社会は、社会環境・家庭環境の複雑化によって、いわゆるアダルトチルドレンというハンディをもつ方が増えてきています。両親の両親らしからぬ姿。それは幼い子供にとって恐怖でしかありません。不安に苦しみ、問題に向き合えず、現実から逃げざるを得なかった幼少期。その思考パターンを大人になっても変えられない。そのため周囲の理解が得られず、また我が子とどう接していいか分からず、知らぬ間に様々な不幸を呼び込んでしまう。そのストレスは陰に陽に体力を奪い、気虚を引き起こしてしまう。

重度の方、もう克服しつつある軽度の方まで様々ですが、気虚の本質を知ることの大切さを学ばせていただいています。その本質は、人の気持ちが分かる…という難題に向かうための一つの材料になると信じています。ぼくは誰も傷つけたくない。ただ、患者さんの喜ぶ笑顔が見たい。それは患者さんの機嫌を取ることで引き出したものではなく、患者さん自らが腹の底から「ああ、よかった」と思える笑顔です。だから、その難題を一つ一つクリアしたい。名医・藤本蓮風先生がおっしゃるように、治療する側と治療される側の一体化、共鳴こそが治療の土台であるからです。

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