白露…補瀉の偶感

二十四節気の続編、今回は白露です。

今年は9月7日から22日までが白露です。

萩の花も咲き始め、朝晩は本当に過ごしやすくなりましたね。ここ飛鳥地方では、最低気温が20℃を下回る日が多くなり、朝から半そでは寒いくらいです。それに比べ、日中は過ごしやすいとはいいがたい暑さ。これだけ気温差があると、とうぜん夜露もしげく、白露の名のとおりの物候となっています。

9月に入ってから急に涼しくなった印象です。逆にそれまでは土用のうなぎシーズンかのような猛暑が続きました。今の涼しさはこの時期としては平年並みなのかもしれませんが、それまでが暑かったので、急に冷えて体調を崩す方がおられるようです。

先日、ニュースでインフルエンザが流行っていると報じていましたが、やはりこの気温差が関わるのでしょう。しかし、寒いといっても冬の寒さには程遠く、ウイルスの勢いはさして強くはないはずです。ということは、受け手である体の方に防御の弱りがあって、微々たるウイルスにも侵されやすくなっている側面があると思います。

運気論的に見て、今年は木運不及の年であり、今年のここまでを振り返ってみても、季節が前に進みあぐねている印象です。つまり、自然界も人体も体力の弱りがある、そういう年であるということが言えるのではないかと思います。

そのなかで、治療としては補法が非常に重要だと思います。もちろん適宜、瀉法をかけねなりませんが、補法をきっちりやっておかないと、瀉法も効かないし、場合によっては悪化させてしまう可能性もあります。その瀉法も、純粋な瀉法はなかなかできず、うまく正気を動かしながらやる必要があると思います。全体の印象としては瀉法よりも補法に重きを置いています。

補瀉といえは、鍼灸家・漢方家を問わず、誰もが何度も壁にぶち当たる治療の枢要です。この壁を意識せずに治療できているのなら、それは東洋医学とは言えません。かつて、僕は補法を徹底的にやった時期がありました。「補は瀉なり」がどんな場合にも必ず通用すると思い、補法に工夫を凝らしてとことんやりました。しかし一年ほどで頭打ちとなりました。邪が取れていなかったからです。

そこからまた奮起し、従来の発想を転換して、瀉法…厳密には補中の瀉…を徹底的にやりました。このころは、ほとんどの患者さんにも瀉法を付け加えていました。「瀉は補なり」をイメージして非常に効果を上げましたが、やはり一年ほどすると何かが違う、瀉が補になっていない場合があると感じるようになりました。

これらの経験が、現在、補瀉を俯瞰するための基準を持てるようになったことにつながっていると思います。補瀉は東洋医学で最も大切な要素と言われますが、そういう大切なものほど言葉にしにくく、他人に伝えがたい。これを会得し自由に使いこなせるようになるため、我々は日々研鑽に励んでいると言っても過言ではありません。

右ばかり見ていては考えが偏ります。左ばかり見ていてもそう。右も左も両方見えて初めて、自分の立ち位置が認識できますね。しかし、最初から自分の立ち位置はここだと悟れている人はいません。右を知り、左を見渡して、はじめて「自分」が見えるのではないでしょうか。それにしても東洋医学は、人の生きる道となぜこれほどまでに重なるのでしょうか。

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