二十四節気の続編、今回は寒露です。
今年は10月8日から22日までが寒露です。
過ごしやすい季節となりましたが、朝は寒いですね。
夜露はしげく、畑は水やりをしなくても済むようになりました!
とても楽です。
少々日中で土が乾いても夜露が降って、おかげで朝になると土が濡れてくれます。
二十四節気には、白露 (9月上旬) もあり、夏のカラカラに乾いた朝の景色が、夜露に濡れる移ろいを、いかに古代人が愛でたかということが伺えます。
東洋は、古くから農耕が盛んでしたから、農耕民族としての視点が二十四節気の命名には散見します。
僕も、家庭菜園をしながら、農耕民族の視点を学んでいます。
こうすることで、農耕民族の視点から生まれた東洋医学の哲学にじかに触れることができます。
ここ最近、驚くのは、日の暮れるのが早いこと。
「秋の日のつるべ落とし」とは、井戸の水をくむ釣瓶を落とすときのように早く日が暮れることを言いますが、古人もこの時期の日の沈む早さを、驚きをもって見ていたのでしょうか。
ドンドン暗くなる景色を感じながら、手に持つクワを早々に片づけ、足を速めて家までの小径をたどり、夕餉を用意して帰りを待つ家族のもとに向かったことでしょう。
これは、蛍光灯で人工的に作られた昼間のような日暮れしか知らない現代人には、なかなか想像しにくい心情かもしれません。
そういう心情のなかで、温かい夕餉を囲む。
そして家族と語らい、時には月を愛でる宵もあったかもしれません。月のない夜はいつしか眠りについたことでしょう。
疲れた体を養うのは、食事や睡眠だけでなく、愛する家族とともにある時間でもあったはずです。
これを、東洋では「陰」と表現しました。
秋・冬は、自然とともに生活すると、睡眠も、そして家族とともにある時間も長くなります。
こうして養った陰は、春・夏の活動期、農耕が最も忙しくなる時期に、爆発的な活動力 (「陽」) を生み、健康を培いました。
陰とは充電です。陽とは放電です。
放電ばかりしていたのではたまりません。
それにしても、古代において充電や放電と同じ概念の言葉を持っていたとは、我々の祖先は流石ですね。
この秋は、少し早めに帰宅し、家族とともに夜ご飯をいただき、語らい、早めに床についてはいかがでしょうか。毎日は無理でも、そんな日を作ってみてはいかがでしょうか。
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素問『四気調神大論』 漢代 著者不詳
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