一人ひとりが持っている心、これは東洋医学の大きな要素である。心身一如という観点に立つこの医学は、主観に古くから注目していた。主観とは、感じたり考えたり行動を起こしたりする自我のことであるが、これはそもそも脳の働きである。脳科学的な一面を東洋医学は持つ。
また東洋医学には、我々を取り巻く外界のあらゆる要素、つまり環境が心や体にどう影響するかに目を付けた環境生理学ともいうべき分野も豊富である。
メタポリックシンドロームは、自己の外にある飲食物という 「環境」 との摩擦から起こる。この摩擦を生む原動力は、自己の内にある食べたいという 「主観」 である。この内と外とをつなぐものが生活習慣である。そこに肉があってそれが食べたいから食べる、簡単に言えばこうなる。
逆に言えば、肉がなくても食べたくなくても、メタボには良くないであろう油脂分豊富な肉・糖分豊富なお菓子を食べるという行動は成立しないことになる。主観もしくは環境が整えば、生活習慣は改善されるのである。
さらに言えば、肉が食べたくなければ目に触れることもなくなるし、肉というものを知らなければそもそも欲しいと思わない。主観が整えば環境も改善され、環境が整っていれば主観は乱れないといえる。
しばしこの身を忘れて、ただ目に映じた一切の森羅万象を眺めてみる。すると、そこには環境あるのみである。自己のものなど何もない。それはこの体といえども例外ではない。山川草木、そしてこの空気。ひとたびこの体が動けば、触れるものすべてはその都度どよめき震撼せずにはいられない。大地はその体を乗せ宇宙をめぐる。体とともにあるのは自己ではなく、むしろ 「この地球」 である。
我々は、脂肪や糖分を多く含む食品をおいしいと感じ、体を動かさずともすむ道具を便利だと考える。だからそれらをひたすら生産し、どんどん生活に取り込んできた。だが、そうして人の手で作った環境は、体という環境にも、地球という環境にもやさしいものではなかった。
この視点からもう一度、環境とは何かを見直す主観を持ちたい。新しい主観から出た行動はやがて 「この環境」 を変え、より良い環境はさらに多くの人々の主観を教え育てるからである。
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