小満…気虚の偶感

毎朝の出勤に使う道は、「甘橿の丘」の側道で、今は黄緑の若葉色が続くクヌギの並木道です。
あまがしの丘は飛鳥時代の蘇我氏の大邸宅があったと伝えられるところで、いまは国立公園になっています。

この若葉を見て、思うことがあります。
去年の秋にカラカラになった枯葉を落としてから、およそ5か月が経ちますが、この美しい新芽を出す原動力は、まぎれもなく去年の夏に光合成で蓄えた力です。
この力で、4月から新芽を吹き出し、これから夏にかけて、いよいよ栄養分を作り出すわけですが、その栄養分を作るまでの期間、樹は自らの生命力のみで芽を吹き葉を広げます。

つまり、この新緑の季節は、樹にとって捨て身と言っても過言ではない投資をしていると言えます。降り注ぐ日差しが必ずあるはずで、それによって利益を得られると見切ったうえでの投資です。

もし、ここで枝を切ったり幹を伐ったりすることは、樹にとって致命的な打撃となりかねません。ですから、もし剪定や伐り戻しをするならば、2月の休眠期に行います。そうすると樹に負担になりません。命をけずって新芽を出していると言えるかもしれませんね。

この状態が、われわれ人間にもみられるでしょうか。人は大自然の中の一部です。これはライオンやシマウマ、植物や魚などが大自然の一部であるのと何ら変わりはありません。東洋医学は大自然と人は一体であると考えます。大自然と人は相似関係にあるとみるのです。

5月に入って以降、最近の臨床で思うことは、気虚を起こしかけている人がままあること。また、悪化直前の状態で来院される方がチラホラあることです。

脈が緩んで求心力がなく幅も少ない脈状 (微脈) が脈の中に現れたとき、同時に腹診で左天枢付近に虚の反応、これは労宮診で正気が吸われるような感覚がありますが、この反応が現れたときは、多くは気虚が表面化しています。もし脈の中に求心力のある細脈が現れていて、同時に左天枢に虚の反応があるならば、気虚は水面下に留まり表面化していません。気虚は急に起こるかに見えることがありますが、その実は水面下で準備がされているのではないかと思います。

もちろん、これではまだ不十分。もっと体表観察を高度にできれば、もっと深い分析ができるはずです。

普段、刺す鍼の治療をしている人が、なぜか古代鍼 (てい鍼) にすべき状態となっていることがあります。これを見逃して治療をすると気虚を起こすことがあります。刺すべきか刺さざるべきかの診断はいろいろあるでしょうが、ぼくは以下の方法で診ています。1つ目は左天枢の虚の反応があること、2つ目は伏衝脈のながれが細く急になっていること、3つ目は用いる穴処に手をかざすと手掌から手背に逃げる感覚があることです。この3つがそろっていると、刺す鍼では気虚を起こしやすくなります
※全身に何本も鍼を打つ治療では、そんなに簡単に気虚は起こしません。ツボ同士が互いに力を打ち消し合うからです。これは良くも悪くも影響を与える力が少ない治療であることを意味しています。一本鍼はこの逆で、影響力が強いだけに、手術のような緊張感の中で行われます。安易な鍼は、たとえ刺さない鍼と言えども打つことは許されません。このことは一本鍼がよく効く理由でもあり、体得するのに歳月を要する理由でもあります。10年以上に渡って全身鍼の治療をした経験を持つ僕の実感です。

人間の体も、新緑の葉を広げるのと同様、陽気を陽分に張り出しています。それは蓄えてあるエネルギーを使い込んでさえもやらなければならない作業なのかもしれません。植物はこれから光合成をおこなって、その支出を補って余りある利益を得ます。この偶感と関連するかのように、子供たちの学校内、また患者さんの職場でも体調を崩している人が多いと耳にします。人間も室内にばかりおらず、外に出て適度に体を動かすことが大切…そう大自然は教えてくれているのでしょうか。

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