熱中症…全身麻痺 (痿病) の治験

女性。高校2年生。陸上部。僕の娘。

玄関の呼び鈴が鳴り、娘が陸上部顧問の先生に抱えられて帰ってきたのは、先日の土曜日、午後6時くらいだっただろうか。その日は陸上競技場で記録会があり、娘は早朝に出発していた。

先生が玄関に娘を降ろし、とりあえず、クーラーの効いた部屋に入れようと、僕が抱きかかえようとしたときの様子は…

手足は完全に縄のように脱力し、首も動かせない。
お嬢様だっこで持ち上げるが、娘の両腕は下に垂れ下がったまま
体幹の筋肉も縄のように無力だ。
簡単に言うと、体のどこにも力が入らない。動かせない。

ただし、普通にしゃべれる。表情筋は普通に動いているし眼球の動きも機敏。呼吸も普通だ。本人は、僕を安心させようとしてか、笑っている。首が動かないので目だけをキョロキョロ動かしている。

まず、脳裏をかすめたのが、筋萎縮性側索硬化症だ。まるでそんな状態なのである。これが治らなかったらどうしよう。かなりあわてた。

床に降ろすなり、「お茶ちょうだい」というので、身体をひっぱって僕にもたれさせながら、ストローで飲ませた。3回に分けて、1時間ほどで計700ccほど飲んだだろうか。

救急の病院を探すよう妻に頼み、診察する。

望診

天突に反応。≫表証を示す。

脈診

数脈。
左が沈位。右が中位。男脈。≫滑肉門・天枢・大巨のどれかに反応がある可能性。
幅なし。≫瀉法ができない。
寸口から尺位に向かう方向で、脈の推進力 (長脈) が観察できる。寸口外側から尺位内側にかけて長脈が観察できる。≫表寒を示す。

触診その他

皮膚が全体にやや熱い。検温すると、37℃台後半。無汗。手足は温かい。クーラーを止めてほしい、との本人の要望。悪寒がある。寝返りはできない。

腹診

空間診は臍の右上。
鳩尾に邪。≫右後渓・右神門に反応かある可能性。
中脘に邪。邪は梁門まで広がる。≫疏泄太過はない。
両不容の浅部に邪熱、深部にも邪熱。≫気分・営血分に邪熱がある。
両章門の浅部に寒邪、深部下方に邪熱。≫営血分に邪熱がある。
両少腹の浅部に気滞、深部に邪熱。≫瘀熱がある。

≫かなり広範囲に邪気がある、特殊な状態。
≫腹診で邪を表現しており、脈が無力なので、奇経 (陽維脈) の応用も考えられる。外関に反応ががある可能性。

治療方針

まず、表寒証を除くことが大前提。無汗で身熱があるので、深部の熱が外に発散できていない。肌肉のすべてに強い邪熱が入ったので、運動神経が麻痺しているのだろうから、この邪熱を外に逃がす。邪熱が外に逃げられないのは、皮膚表面に寒邪があって、これが熱の発散を妨げているからである。魔法瓶は、表面が冷たくで中が熱いが、まさにこの状態だ。

以上の目的が達せられても、筋肉の無力状態が改善しないなら、即刻病院だ! 肌肉 (気分) の熱が取れなくてモタモタしていると、営血分の熱や瘀血が強固となって、後遺症を残す可能性がある

選穴

右滑肉門・右神門・右後渓・右外関を探る。右滑肉門の反応が強い。

治療

右滑肉門に0番鍼を1mm刺入、8分置鍼後、皮膚表面の邪気を払いながら、穴処を閉じる補法の手技を用いて抜鍼。

効果

数脈が落ち着く。
天突の反応が消失。
皮膚にかすかな湿り気が出てくる。
自分で手足を動かし、寝返りができるようになった≫この時点で治療に手ごたえ。
「いまどう?」と聞くと「楽になった。涼しくなった。寒気がなくなった。」との返事だが、かなり眠そう。そのまま40分ほど熟睡する。≫昏睡状態ではないか、常に注意をはらう。

「とりあえず、先にご飯を食べよう。」娘が寝ている間に、食事を始めた。間もなく、娘が起き上がる。自分で立った!

「あー、おなかすいた。」と言いながら、自分でご飯をよそい、お肉・味噌汁・キュウリの糠漬け・スイカを食べた。帰宅してから1時間30分ほど経過したころだっただろうか。
食後、そのまま翌朝8時まで熟睡した。

考察

鍼をした理由

本症例を考える前に、触れておきたいことがある。

熱中症をおこして、鍼灸治療に来る患者さんはいないし、安全性・信頼性で問題がある。本症例も、熱中症を鍼灸で治療しますよ、と言いたいのではない。

ただ、僕は患者さんの大切なお体を預かる身だ。患者さんがどう思うおうが思うまいが、僕は患者さんの体をよくするために、全身全霊でぶつかる。治る、という信念がなければ、患者さんに対して申し訳が立たない。その信念こそが僕の中心なのだ。だから、自分の命よりも大切な娘を鍼で治療する。ただそれだけだ。

普段の臨床では、急性の危険な患者さんは少ない。多くは慢性的な疾患だ。しかし、慢性病を治す際にも、その過程の中に微細な急性の状態がある。これを見抜くことができれば、慢性病をより素早く治すことができる。そういう日々の積み重ねがあるからこそ、このような初めて出くわす急性の病態にも対応できるのである。

発症までの時系列

さて、本症例は緊急を要するケースだ。なので、詳しい問診はほとんどしていない。健康に復した後で、いろいろ聞いた。

●身体に力が入らなくなったのは、午後5時に1500メートルを走った直後だった。ゴールして木陰に向かい、そのまま倒れこみ、10分ほど休憩したが、体を動かそうにも動かないことに気づいた。首を支えてもらい、先生におんぶしてもらって椅子に座らせてもらったが、腰からたおれる。本人曰く「目しか動かなかった」。
●この日の最高気温は37℃。最低気温は27℃。朝から暑かった。それ以前に、記録的な猛暑日・熱帯夜が続いている。特に最低気温の高さは異様だ。当日まで実に7日連続の熱帯夜。この地域では前代未聞だろう。
●生理中だった。
●ケガ (交通事故) で長く出られなかったが、今回、久しぶりの大会。1500を全く走らぬまま、この日は数か月ぶりのぶっつけ本番だった。痛みが出ないかという不安があった。
●周りで熱中症で倒れる選手がたくさんある中、規定ではこの気温なら途中で中止のはずであったところが、そのまま続行となり、不安とイライラがあったという。
●持参した飲み物 (常温) が、途中でなくなり、自販機の冷たいお茶を飲んだ。
●1500を走った直後から、汗が出なくなった。

病因病理

本症例は痿病 (痿証) である。痿病とは肢体に力が入らなくなる病気の総称で、筋萎縮性側索硬化症・筋ジストロフィーなどが挙げられる。急性の痿病は珍しいが、慢性の痿病の病因病理を紐解くうえで興味深い。
憶測だが、病因病理を考える。

まず、暑さ。猛烈な暑さは気を消耗する。気には色々な作用があるが、防御作用は大切な働きの一つで、外気の暑さ・寒さから身を守る。この働きが低下した。

次に、生理。血を急激に消耗する月経中は、気血のバランスが不安定になりやすい。

加えて、精神状態。心には波風が立っていた。体内に起こった風は、外の風とタッグを組んで体内に入りやすくする。風邪である。

そして、冷たい飲料水。急激な冷たい刺激は寒邪となりうる。これが先の風邪と結びつき、風寒の邪となる。1500を走る前に、風寒の邪がすでにあったとみる。これは、自覚には昇らないほどの軽いものであったとしても、あるとないとでは大きな違いがある。

その状態で1500メートルを全力疾走する。1500は、練習では走ってはならないらしい。400とかを何セットもする練習を積んで、試合の時だけ走るようにするらしい。それほど過酷な種目なのだろう。これにより、気血を短時間で大きく消耗する。また、体温の急上昇とともに邪熱をつくる。普通なら、この邪熱は病体がつくったものではないので、スムーズに発散され消え去るはずだ。だが、皮膚表面に張り付いた風寒の邪が、その発散を妨げる。短時間で強烈な邪熱が、肌肉に蓄積した。肌肉はその機能を失い、全身麻痺となる。深部体温はかなりの高熱となっていたと推測される。

さて、邪熱が肌肉に入り、これによって肌肉の気は消耗した。しかし、生き残った気はバイタルを守るために、心・肺・脳などの中枢に集中し、この部分の気が侵されないように守った。これが、体は動かないのに、意識はしっかりし、しゃべりも正常だったことの内訳だ。

横紋筋融解症の可能性

後で調べて知ったことだが、熱中症で横紋筋融解症が起こることがあるらしい。本症例はこの可能性が高い。

ウィキベティアによると、「横紋筋細胞が融解し筋細胞内の成分が血中に流出する症状、またはそれを指す病気のこと。横紋筋融解症が発生した場合、骨格筋が壊死を起こし筋細胞中の成分が血液中に浸出し、筋肉が傷害されて筋肉痛や脱力感等の症状があらわれ、次第に疼痛や麻痺・筋力減退・赤褐色尿などの症状が発現する。」

重症の場合には腎機能の低下を生じ、腎不全などの臓器機能不全を発し、死に至る場合もあるらしい。娘の場合、小便は翌朝まで出なかったが、その朝に出た小便は普通色だった。速やかに邪熱を取り去ることができたからかもしれない。

滑肉門の意味

滑肉門の意味だが、これは難しい。扶正が効率よくできたということだけは言える。

ここからは私見。

「難経」にある男脈・女脈は、性別と逆の脈が出た場合、邪気の除去ができない。つまり、太陽に開くこともできず、陽明に闔じることもできない。

男脈・女脈を調整すると、それだけで開闔枢が正常に働く。外感病に四霊 (滑肉門・天枢・大巨) が使われるのは、こういう機序もあるのではないか。男脈・女脈の問題に最も適応するのは四霊である。

本症例では滑肉門一穴で腹診のすべての邪が取れた。これで邪が残るようだと、このような急激な回復は難しかったかもしれない。特に営血分の反応が不気味だ。残った邪をきれいに取ることができるという確信はなく、「この鍼で営血分まで取れてくれ!」というのが正直なところ。祈るような気持ちで鍼をした、ということだ。

ちなみに、この日の大会は県レベルのもので、娘は全体の10位だったらしい。すごい。よく頑張ったな。

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