ガン…東洋医学から見た3つの分類と治療法

その1…真の原因

ガン。ぼくの両親を奪った病気です。父は40代でたおれ、母は60代で亡くなりました。以来、なぜガンになるのか、なぜ人は病むのか、死ぬのか、なぜ生きるのか…ということを考え続けてきました。鍼灸を志したのも、ガンを治すためでした。

なぜガンになるのか。

ガンは特殊な病気だと考えられています。

しかしぼくは、ガンを特別な病気だと考えていません。むしろ、特別なのは病気という範疇に属するすべてで、ガンもその一つに過ぎないと考えています。言い換えれば、それほどに病気というものは、たとえそれが肩こりであったとしても、治し難いものだということです。

そんなことはない、薬を飲んで病気が治ったよ、とおっしゃる方もおられるでしょう。しかし、それは決して治ったのではありません。

人はなぜ病むのか

人はなぜ病むのか。治療とは何か。その哲学が浅いから、我々はガンを特別扱いするのだ、僕はそう考えています。

徹夜でマージャンをしたとします。それで、頭が痛くなったとします。痛み止めを飲んで、頭痛が止んだとします。だから、今夜もマージャンをするのです。

こういう風に言う人がいます。「病気になったのは、何か自分に誤ったところがあったからだ。胸に手を当てて省みるべきである。それを忘れて、医者よ薬よと騒ぎ立てるのは、順番が間違っている。」

病気の原因は証明できない

病気とは、人間として成長するためにあるのです。社会組織にもそういうものがありますね。警察です。社会として成熟した「大人」になるために、道を外れたことをする人を取り締まるのです。

人体も組織です。細胞が一つ一つ集まり、統合体を形成します。だから警察と同じような機能を持っている。それが病気です。社会組織が成熟する必要性を、科学は説明し証明しうるでしょうか。生物学では共食いは否定されません。人間として成長する必要性を、科学は証明できません。だから病気は治らない、治せないのです。

「組織」の意味するところをよく考えてみましょう。これはなかなか難しい概念です。お医者さんは人体組織を可視化できると思っているかもしれませんが、社会組織を可視化できるでしょうか? 一部はできますが、一部はできません。社会組織を構成する根幹は、一人一人の「こころ」です。

これだけ進歩した西洋医学において、じつは病気の原因が分かっていないものかほとんどです。たとえば口内炎すら原因不明です。薬の注意書きに「この薬は症状を抑えるためのものであり、原因を取り除くものではありません」とあるのを見たことはありませんか?

話がそれました。

病気は、何かに気づかせるために存在する。その何かとは、人間性の成長を阻み、病気の治癒を邪魔するもの…。それは、病んでみて、自分を見つめなおしてみて、初めて見えてくるものです。

病気は、むしろ味方?

まず、簡単な例え話から入っていきます。病気の代表的なもの、痛み…。単純に骨折で考えてみましょう。当然、激痛があります。この激痛という取締り (警察) がなかったらどうでしょう。足が折れていても歩いてしまいますね。結果、骨がくっつくことはありません。痛みは、組織を修復するために必要なのです。

頭に痛みがあるからこそ、「今夜はマージャンは控えよう」…そう思えるのです。それは明日からの健全な生活につながる考え方です。

痛み止めを飲んで頭痛が治ったとしても、それは病気が治ったわけではない。後日に禍根を残すのです。頭が痛くなるほどに連日連夜マージャンをやりたいと思う「欲」こそが病気の本当の素顔です。「欲」を改めない限り、病気が治ることはあり得ないのです。

「欲」が原因

マージャンは遊びたい欲です。その他にも、欲にはいろんなものがあります。食欲・性欲・怠惰欲・物質欲・支配欲・我欲からくる怒り・旅行に行きたい欲・ゴルフをしたい欲・ゲームやパソコンがしたい欲・自分さえ良ければよいという欲・仕事をたくさんしたい欲…数え上げれば切りがありません。その欲すべてにおいて、過剰がよくありません。ただし適度な欲は良いのです。ぎゃくに欲がまったく無くなれば、人間は命をつなぐことができなくなります。

頭痛薬を飲み続け、痛みが消えたとしても、「欲」は消えません。いやむしろ、その炎はますます勢いをまし、生命を焼こうとするのです。すると、生命は自らを守ろうという反応を起こします。頭痛が薬で出せなくなった。ならば、もっと他の部分に、そのシグナルは発現します。中年以降に出る様々な病気をイメージするといいでしょう。めまい・膝痛・糖尿・胸痛・胃痛・耳鳴り・不眠・疲労感・腰痛・痔・うつ・むくみ…など、その表現は多彩です。

欲は人間の証し

ここて、前提として確認しておきたいことがあります。欲というと、倫理的な響きがありますが、決してそうではありません。人間という種の特徴ともいえる、極めて生物学的なものです。

たとえばライオンは、腹が満たされていれば、シマウマがそばを歩いていても、見向きもせず寝そべっています。しかし人間は、ライオンとは違います。どこが違うかというと、大脳です。大脳が非常に発達した人間は、いくら腹が満たされていても、シマウマがそばを歩いたいたならば、それを今のうちに捉えて、どうにかして保存し、困ったときに食べることはできないものか…と考えます。頭が良いということは両刃の剣です。過剰な欲にもつながるし、高い人格としての普遍愛にもたどり着くことが可能です。

これが人間という種の特徴です。

もう、あとがない

さて、外堀・中堀・内堀の構えを備えた城郭を人体生命と考えると、「欲」は敵軍です。敵軍はまず、外堀を攻めます。城は外堀に最前線を敷き、せめぎ合います。外堀が陥落すると次は中堀に最前線を敷き、中堀が陥落すると次は内堀に、内堀が陥落すると…。本丸が戦場になってしまうと、もう次がありません。実は、これがガンなのです。

外堀が頭痛だとしましょう。もし今夜のマージャンを止めて、頭痛が治ったならば、これは敵軍を追い散らせたということで、完治です。マージャンを止めることなく、頭痛薬で頭痛が消えたならば、中堀に敵が入ったということです。もう外堀に敵はいないので、頭痛はありません。中堀でめまいが起こったとしましょう。また薬で消す。内堀に入る。疲労感が起こる。薬で消す。この間、マージャンは相変わらず続いています。

最後に本丸に入る。薬で消す…これができない! なぜなら、本丸よりも奥がないからです。だから、ガンは薬では治らないのです。もし、ガンを治す薬が発明されたならば、ガンに変わる不治の病が生まれるでしょう。

その場しのぎの恐ろしさ

敵を落ち散らすことなく、外堀だけを守ろう、中堀だけを安全に、内堀さえ敵がいなければいい。本丸や他の堀がどうなっても俺の知るところではない。そんなうわべだけを取り繕うような浅い考え方をしているから、深い部分が侵されてしまうのです。粉飾決済とか、文書改ざんとか、カンニングとか、そういうものと同じ雰囲気なのが見て取れるでしょうか。

なぜこんな簡単なことが、いならぶ先生方をもってして分からないのか。

もう一つ、例えで考えてみましょう。人体は組織です。これは社会組織と何ら変わりはありません。人体は37兆個もの細胞から組織されています。地球上の人口が77億人であることを考えると、人体がいかにメガ組織であるかが分かります。各細胞は、心臓・腎臓・胃などの小組織をつくり、その小組織同志が協力し合って、人体組織という大組織が出来上がるのです。

さて、そのような人体組織を我々はどう扱っているのでしょうか。消化器科・呼吸器科・循環器科・腎臓科・泌尿器科・耳鼻咽喉科・眼科など、病院はいろんな科に分かれています。それぞれの科にはスペシャリストの先生がいて、消化器が悪いと言ったなら消化器専門医がこれを治すべく担当者となり、心臓が悪いと言ったなら心臓専門医が担当者となります。

会社という組織で考えましょう。組織を構成するのは一人一人の社員です。人事課・経理課・営業課・商品開発課・製造課などに分かれていて、これは小組織です。会社全体が大組織となります。いま、営業課に人不足というトラブルが起こったとします。そうした場合、会社組織はどのような対応を取るでしょうか。人事課が新規の雇用に動くかもしれないし、他の課が犠牲的な一時的応援をするかもしれません。あるいは営業課がこのまま辛抱することも考えられます。その決定を下すのは社長さんで、社長がそうさせるのです。

もし、これが人体組織なら? 営業課にトラブルが起こったら、営業課専門の特別コンサルタントが営業課に入り、営業課を益するような方法を講ずる。もちろん、社長には無断です。ゆえに、営業課「のみ」を益するような結果となってもおかしくありません。

病院は…。いくつもの科に分かれて、それぞれの科の先生が、それぞれ最善の方法をもちい、それぞれの小組織にテコ入れする。しかも、A科の先生は、B科の先生のなさることに口出ししにくい。当たり前です。Aクリニックが科の違うBクリニックに指図ができるでしょうか? 指図できるのは社長さんだけなのです。しかし、現代西洋医学の医療体制には、その社長さんがいない!

城には城主がいます。これを無視して、外堀担当者が外堀さえ良ければよいと考えていたら、城はどうなりますか?

疏泄太過という考え方

堀ちえみさんがリウマチからガンになった、名倉潤さんが椎間板ヘルニアからうつになった…。城と敵との関係に当てはめてみると、分かりやすいかもしれません。

しかし、いつもこんな風にA病からB病にすぐ移行するわけではありません、移行するまでの間、無症状であることがよくあります。だから因果関係が見えづらいのです。この無症状こそが問題で、敵が城内に入っているのに、城側が反応できず、せめぎあいが起こらなければ、無症状となります。無症状は健康とは限らないのです。

不健康な無症状を、疏泄太過といいます。初期ガンはすべてこれです。ガンがあるのに自分でガンが分からない。病気なのに自分で病気が分からない。疲れがあるのに自分で疲れが分からない。

たとえばストレスがあるとします。ストレスは病気の原因です。ストレスの原因には、様々な葛藤、欲があるものです。そういった原因に向き合い、自分の至らなさを省み、悟る。そうやって、まっすぐ壁を乗り越えていくのが正しい道です。ところが、その壁からそれて斜めや横に、誤った道に進む。それは、その場はその方が楽なのです。しかし、その方向には、やがてもっと分厚く高い壁が現れます。

こんな風に言う人がいます。「広くて整備された新道は途中で途切れている。細い旧道は険しいがどこまでも続いている」…正しい道は険しいが希望がある。誤った道は最初は楽だが希望がない。だから、結果としては、誤った道にそれるのは、しんどいことなのです。その場、すこししんどくても、正しく真っすぐ壁を乗り越えた方が、結果として楽なのです。アリとキリギリスですね。

壁を乗り越えるのではなく、どうやってそれるか。我々はいろんな方法を使います。たとえば、ストレス食い。酒色におぼれる。趣味にのめりこむ。あるいは怒りで乗り切る、仕事にのめりこむ…。これらはすべて逃げです。その場しのぎです。誤った道に舵をきっており、正しい疏泄ではなく、誤った疏泄なので、疏泄太過といいます。つらさ (ストレス) から逃げている、逃げ場所があるので、症状は出ません。

やがて、もっと高い壁がはだかる…それが病気です。病気は我々に何か大切なことを教えようとしてくれている。しかし、それでもなお「薬」という逃げ方があります。すると再び疏泄太過になる。壁にぶつかる。次なる病気となる。薬で逃げる…。それを繰り返した結果、逃げ場所がなくなった状態が、ガンである。もうお分かりですね。

疏泄太過の原因

疏泄太過を起こす代表的なアイテムは、西洋医学の薬です。

しかしそれだけではありません。気を付けなければならないのは興奮です。怒り過ぎ・喜びすぎは、薬と同じように症状を消します。

その他、鍼灸・漢方薬・整体・マッサージ・ヨガ・サプリ・栄養ドリンク・カフェイン・白内障の手術にいたるまで、「症状さえ取れたらよい」という意図をもって用いられる (対症療法) ならば、すべて疏泄太過に舵を切ることとなり、問題が解決するどころか、かえって高じさせてしまうのです。国民の2人に1人がガンになるという異常事態と照らし合わせてみてください。

疏泄太過の治療

このように考えると、原因となる過剰な欲を、正常値内の欲に安定させることが重要であることが分かります。それは、ガンであろうが、他の病気であろうが、同じことです。難しいことに何ら変わりはないし、ガンだから難しいということもありません。ただ、ガンの特殊性は、もうごまかしがきかないという一事なのです。これは、脳梗塞・認知症でも同じことが言えます。

薬を飲むのが悪いというのではありません。人間的に成長せぬままに病気は治らないということなのです。警察の活躍する場のない社会組織こそ求められるのです。

東洋医学のガンにおける病因病理を見ていきましょう。ストレス (怒り過ぎ) ・食べ過ぎ・運動不足 (怠惰の行き過ぎ) ・無理のし過ぎ…。こうした病因から、様々な病理的産物…すなわち気滞・邪熱・湿痰・瘀血を生じ、ガンが形成されます。そうした病理的産物が、生命力・回復力・体力といった正気を傷つけ弱らせ、そして生命力がついえて死に至るのです。

病理的産物を治療で除去する。除去と同時に、そのソースを断つべく疏泄太過の治療をする。すると病因が減ってくる。そして、その病因のむこうにある「欲」も程よく削れる。病気が改善し人間的に成長した姿がそこにはあります。

抗がん剤の是非

抗がん剤・手術などが、なぜガンにある程度効くのか。以上の視点から見たとき、その副作用に理由があることがわかります。

ガンの西洋医学的な治療は、楽になるということはありません。こういう薬は、ガンの薬以外には見当たりませんね。ふつう、薬というのは、楽にするために用いるものです。ところが、疲労感が出て、食事がとれなくなり、動き回ることができなくなります。なにも苦痛がなかった生活から、苦痛に耐えざるを得ない生活に変わってしまいます。

実は、強制的に疏泄太過を押さえつけることに、結果としてなっているのです。副作用によるつらい症状が、実はブレーキに効いているのです。体力がもてばという条件付きで、ガンに効きます。ただし、ガンは弱くなりますが、体力がどこまで持つかが勝負で、体力がもたなくて寿命を縮める場合も少なくないと思います。

ガンになる前は症状を消す薬を用い、ガンになってからは症状を出す薬を用いる。皮肉です。

ガンの数値の捉え方

疏泄太過のときは自覚症状がないので、本人は調子よく感じます。しかしガンは進行速度を増しているときなので数値は上がる可能性が高くなります。自覚症状が出ているときは逆のことが言えます。

それとは別の視点で、数値はあくまでも数字であるという見方も必要です。たとえばテストの点数。…点数だけで判断してはいけない部分と、点数から類推される部分とがありますね。大切なのは、子供がやる気になって勉強しているかということ。楽しんで勉強できているなら、いま少々点数は悪くとも、次第に良くなっていくでしょう。いま点数がよくても、油断をしていればそのうち悪くなるはずです。

中学校の定期テスト、高校受験のための模擬テスト、大学受験のための模擬テスト…これらテストの種類によっても点数の出方は異なります。定期テストなら一夜漬けでもそこそこの点にはなります。しかし大学受験なら、少しやったくらいでは点数に反映されません。いや、中学にさかのぼって基礎からやりなおす必要のあるときは、点数はむしろ悪くなることさえあります。

リウマチの炎症の数値や糖尿病のA1cは、治療をやっただけ下がる傾向にあります。腎不全のクレアチニンは食養生が必要で、やっただけは下がりますが、無理やりやらされているようだとリバウンドが来ますので、疏泄太過を治療で収め、無理なく食養生できることが不可決です。

以上が中学のテストだとすると、ガンは大学受験のテストのような数値の出方をします。

真実の治療

なぜガンになったのか。それが分かれば、その逆をやればいい。治療においては、疏泄太過をどこまで食い止められるか、正常化できるかがポイントです。

たとえばガン患者さんで、食欲旺盛となる場合があります。これは疏泄太過で起こるのですが、特徴は白いご飯を食べないということで、おかずやお菓子ばかりを食べます。いくらダメだといっても無駄です。食べたいから食べているからです。

「ガンが食べるんです」…西洋医学の現場でもこんな風に説明される場合があります。こうなったものを食い止めるのは至難の業であることもあります。助かるガンもあれば、助からないガンもあるのです。

疏泄太過を食い止めるのがポイント…というのは、どんな病気でも、僕の治療の場合は同じことです。軽度の病気でも、言うことを聞かない患者さんはいます。そこをどうやって正しい道に軌道修正していくか、それに心を砕いて常に治療に当たっています。そのなかで、数々の奇跡が起こっています。一方で途中下車される患者さんもたくさんおられます。難しさはガンも同じことです。

人の心を動かすというのは、並大抵のことでできるものではありません。治療家は、常にそういうトレーニングを積んでいることが大切で、ガンだから特別なことをやろうとしても、普段からやっていなければ、できるものではありません。

どんな病気であっても、真実の治療を行う。眞鍼堂の考え方です。

「先生のところに来るようになってから、考え方が変わった」…そういう声が聞かれなければなりません。表情が変わり、発想が変わり、価値観が変わる。そして習慣が変わり、体質が変わる。奇跡はこうして起こるのです。


その2…願いは叶う

その1…真の原因では、そもそもガンとは何者か、というお話をしました。ガンはなにも特殊な病気ではない、特殊なのはガンに限ったことではなく、どんな病気でも病気をすることういうことは特殊なことなんだ、ただ病気によってその段階がちがう、という説明でした。

どんな病気にも共通するのは、欲という要因であり、徹夜でマージャンしたことによる頭痛は、マージャンしたいという欲が原因で起こるというお話でした。そして、この欲という原因を解決するのは難しいことで、その難しさはガンといえども同じこと、ただそれを早期に治す (ガンになる前の症状で) のか、最終段階で背水の陣の中で治す (ガンになってから) のか、そういう違いがあるということなのです。

ガン細胞の性格

西洋医学的に見て、ガン細胞とはどんなものでしょう。人体は組織であるという観点に立つと、ガン細胞の性格・表情までもが見えてきます。人体は30兆個もの細胞が、互いに協力し合った、大きな組織です。その組織のなかで、ガン細胞は組織に協力することなく、増え続ける細胞です。増え続けた結果、組織そのものが死に至り、ガン細胞も組織とともに死んでいくのです。

細胞の一つ一つは生きていて、本来その一つ一つは組織の中で自分の役割を果たそうとします。その役割はA細胞とB細胞とは全く違うもので、AはA独自の役割を自律的にこなしています。まるで、意識をもっているかのようですね。社会組織を構成する最小単位が人間であるように、人体組織を構成する最小単位は細胞です。組織は協力し合う気持ち (意識) がなければ成り立ちません。人間に意識があるように、細胞にも意識があると見なし、擬人化して考えてみましょう。

悪意はあるか

たとえば免疫細胞は、それら細胞を統率する者がなく、にもかかわらず一糸乱れぬ軍律をもって、ウイルスなどを死滅させ、組織を守っています。そんなすぐれた免疫細胞も、膠原病 (リウマチ・SLEなど) の場合、誤って自らの組織を攻撃してしまうこともあります。その時の免疫細胞は、組織に対して悪意を持っているのでしょうか。

そうとも限りません。たとえば五・一五事件で犬養毅首相を銃殺した青年将校はどうでしょう。彼らなりに国を思い将来を憂いていたのではないでしょうか。人間は多くの場合、悪意で事を為すことは極めて少ないものです。善と信じ、しかしその善は真の善ではなく、その結果、組織に対して悪い結果をもたらすのです。免疫細胞も、良かれと思って組織を攻撃してしまっているのです。かつて身を捨てて組織を守ってきた免疫細胞なのですから。

誤った信念

ガン細胞も同じです。組織に対して悪意を持つとは限りません。ただ、ガン細胞自らが信ずるところの理念が、大きく過っていることに気づけないのです。その理念とは、「自由に細胞分裂すべきである」…というものです。

なぜ自由がいけないのでしょう。

自由がいけないのではありません。過剰な自由がよくないのです。たとえば、卵を抱くニワトリ。強く抱きすぎると卵は割れてしまいます。弱く抱きすぎると卵は冷えて死んでしまいます。強く抱くのは束縛、弱く抱くのは自由です。ほどよい束縛、ほどよい自由が命を育むのです。同じことが、敷居と鴨居にはさまれた障子でも言えます。挟むのが強すぎると障子は動かず、挟むのが弱すぎると障子は倒れてしまいます。ほどよく束縛され、ほどよい遊びがあるから障子はその用をなすのです。

過度の自由

社会組織において、我々が何でも自由にできたとしたらどうなるでしょう。好きなことをやるのです。いずれ必ず束縛されますね。その束縛により、我々は反省し悟るのです。そして、孔子の「己の心の欲する所に従て矩をこえず」 (己の欲するままに事を為しても、社会のルールからはみ出さない) という域を目指し、成長していくのです。

その道を歩むことなく、社会からの束縛…例えば警察に厄介になるとか…をはねのけてまで自由を貫くとしたら…。普通は不可能です。警察に拘束されてしまいますから。…もし、もしも仮にそれができたとするならば、それは社会組織の秩序を破滅に追い込んでしまうことを意味します。警察をも従えた、つまり警察が組したわけですから。…ガン細胞が増殖するための栄養分を補給するために、ガン細胞用の血管が形成されるともいいます。体がガン細胞に組する姿です。

細胞分裂は自由にやってはいけないのです。もしそれをやるとガンとみなされ、免疫 (警察) によって殺され束縛されます。その免疫が効かなくなった。それが、ガンの発症です。

では、どんな自由がよくないのでしょう。

ガンの原因

ここでいう自由とは、あくまで過剰な自由のことです。人間のやることは、
①食べる
②寝る
③動く
④思う
つまりは、これだけなのです。この4つに節度がない状態、それが過剰な自由です。

①ならば、どのように飲食しても自由だという考え方です。食べ過ぎ、お酒の飲みすぎ、間食、朝食を抜いたり、ご飯を食べずにおかずばかり食べたり、などです。

②ならば、どのように寝ても自由だという考え方です。睡眠時間の不足、太陽が出ても起床しない、夜更かし、ゴロゴロして動こうとしない、などです。

③ならば、どのように動いても自由だという考え方です。働きすぎ、遊びすぎ、セックスのし過ぎ・運動しすぎ・旅行しすぎ、ゴルフし過ぎ、山登りしすぎ、タブレットのいじり過ぎ、マージャンし過ぎ、などです。

④ならば、どのように思っても自由だという考え方です。たとえば、人を憎んでも良い、腹を立てても良い、執着しても良い、興奮しても良い、などです。人間として無理もないことですが、こういう考え方はよくない、という知識は持っておくべきです。その方向のへ進み続けると、ワガママになります。やがて必ず行きづまります。行き詰まったら、それがストレスとなるのです。ストレスが病気の原因になることは周知されてきていると思います。

以上が、病気 (ガンも含めた) の原因です。

このような行動に、節度がなくなる理由とは何でしょう。それは欲です。誤解のないよう申し添えますが、適度な欲は絶対に必要で、これがなければ人間は生きてゆけません。今言う欲とは、過剰な行き過ぎた欲のことです。

科学的メス

ここに上げた原因が、なぜ病気を作るのか。食べ過ぎ・飲みすぎならば、西洋医学的に説明できるかもしれません。しかし睡眠不足ともなると、病気の原因になるということは、うすうす分かっていながら、それを説明せよと言われたら、西洋医学的に根拠がありません。そもそも睡眠は謎だらけで解明ができていません。運動のし過ぎにいたっては、なぜそれが体に悪いのか、という声も聞こえてきそうです。根拠などないと言わざるを得ません。

理屈ではない、実際です。過剰な欲が行動や思考の裏にあって原動力となる限り、人体という組織はそれを排除するために動きます。それが病気なのです。

社会という組織にも、たとえば泥棒がいたとしたら、それを排除するために動きますね。なぜ排除するのでしょう? 科学的にそれを説明できるでしょうか? 科学的に、ということは、ここでは生物学的に、ということです。生物学的には、泥棒 (獲物の奪い合い) は肯定されます。では、誰が泥棒は悪いと決めたのでしょう。科学ではありません。組織です。組織がそう決めたのです。組織とは協調性がないと保てません。だから自然とそういうものを排除するのです。

人体という組織でも同じです。欲は組織を乱すのです。だから排除しようと、ある働きが起動する。それが病気なのです。科学では病気の原因を解明できないと断ずるゆえんです。科学は動物なら説明できますが、人間の説明は不得手なのです。欲を科学で斬れるでしょうか。

組織には科学的メスが入らないのです。社会組織も、人体組織も、です。

東洋医学の視点

東洋医学では、五臓六腑を治すことを治療の主眼とします。そして、腎臓には精・心臓には神・肝臓には魂・肺臓には魄・脾臓には意智が宿っているとされます。つまり、精神・魂魄・意智という意識活動が五臓六腑という治療ターゲットの中に含まれるわけです。

鍼をしてもらうと何か落ち着く・元気が出る…という声が聞かれるのは、意識活動をも自然な状態に修正するからです。強すぎる欲を正常範囲の欲に修正する力が鍼にはあります。東洋医学とは、組織とは何かということを根本において生まれた医学であり、決して科学的医学ではありません。人間的医学とでもいえばよいでしょうか。

良くも悪くも、願いはかなう

ただし、治療はそう簡単ではありません。たとえば、肝硬変の患者さんが僕のところに治療に来たとします。原因はお酒の飲みすぎだとします。「子供はまだ小さい、だから死にたくない。だから肝硬変を治してくれ。」…しかし、その一方で「酒だけは死んでもやめたくない。」という。こういうことは、臨床をやっていると日常的にあることです。欲とは、これほどまでに捨てがたく、心を狂わせるものなのです。

しかし、これでは治りません。どんな鍼を打とうが、治りません。そうではなく、「先生、肝硬変を治すために酒をやめたいんだ。でも夕べも飲んでしまった。何とかしてくれ!」という患者さんならば、僕の腕なら治せます。願いはかなう。願わないことはかなわない。ただそれだけです。酒を飲みたいという願い (欲) も、酒をやめたいという願いも、です。酒を飲みたいという願いが叶うと、肝硬変を治したいという願いは叶わなくなります。酒が原因で肝硬変は結果だからです。

だから、酒をやめたいという願いが叶えば、肝硬変を治したいなどと願わなくとも勝手に叶ってしまいます。酒をやめたいという願いこそ、正しい願いなのです。正しい願いをできるだけ速やかにかなえる…それが鍼です。「酒をやめたい」という願いは、かないにくい。だからこそ願いなのです。それをかなえるのが僕の仕事です。正しい願いとは何か。それぞれの患者さんにより、それは十人十色です。

肝硬変とお酒のような分かりやすい関係ならば、誰もが納得がいくでしょう。しかし、ガンほど複雑な病気になると、分かりやすい原因ではなくなってきます。ただし、一つ言えることは、分かりやすいものにしても、分かりにくいものにしても、背後には過剰な欲、強い執着があるということです。「これが原因だよ」という言葉に耳を傾け、そこに患者さんが率直に向き合えるかどうか、これが治療の成否を分けるカギとなります。

後押しされる欲

そうした欲をあおる世情にお気づきでしょうか。マスコミからあふれ出てくる情報の数々…。サメの軟骨が膝に良いと聞けば、サメは死のうが膝さえ治ればいい、自分さえ助かればいい…。そういう気持ちでは膝の痛みすら治るものではありません。もし治ったとしても、もっと深い部分に病気を抱えることになるでしょう。

我々は、命あるものを殺して食さずば、生きていくことはできません。だからこそ、恵みに感謝すべきなのです。イワシ一ぴきでも、お米一つぶでも、我々の命を救ってくれるのですから、できるだけ素材の美味しさを味わっていただくことが、感謝の発露であると思います。

膝痛のサプリをつくるために、どれだけ多くのサメの死体が捨てられていることでしょう。味のない粉末を胃に流し込み、命を捨ててくれたものに感謝できるでしょうか。他のサプリでも同様です。「サプリを使ってみよう」という行動は些細な一歩かもしれません。しかし、その行く先は、健康とは真逆の方向なのです。惑わされてはなりません。

だから、自分勝手ではいけない。治療に遅刻しても平気な人、予約を安易に変更する人は、治りにくいです。治療さえ受ければいいとというものではありません。頭痛さえ治ればいい、肝硬変さえ治ればいい…。その行く先にあるのが、自分さえ良かったらいいという気持ちです。そして過剰な欲とは、ここを源流として発するのです。

豊かな社会だからこそ

現代社会は飲食物が溢れかえっています。食べたいものがあれば、何でも手に入る世の中です。にもかかわらず、栄養が足りないから病気になる、という考えす方は時代遅れです。サプリが売れれば、製造会社もまた増えていく…食べれは治るという思い違い…サプリはこれを象徴しています。

味覚を通して飲食するからこそ、体がどの成分を求めているのか、また求めている必要量までもが、ハッキリ分かるのです。むかし妊婦さんが炭や壁土を食べたという話をご存知でしょうか。ミネラルが足りないと、そんなものまで美味しく感じるのです。汗をかいた後は、お水が美味しいし、塩辛い味付けのおかずが美味しく感じます。サプリは必要とする以上の成分を取っていても気が付きません。同じメニューが3日も続くと飽きますね。こうやって体は、成分が足りたことを体が教えてくれているです。

必要とする以上の量を取ってしまうと何が起こるか。肝臓に負担をかけます。肝臓には解毒作用があります。そもそも飲食物はすべて、主にアンモニアという毒に変化します。それを無毒化するのが肝臓の仕事で、仕事が増えると疲弊するのは、肝臓も同じことです。塩は取り過ぎにあれほど神経質になるのに、他の成分は錠剤にしてまで流し込んでいいとは、おかしな話です。

成分の摂り過ぎ、これは体に良いと思い込んで毎朝ヨーグルトを食べるとか、卵を日課にしているとか、水を無理に飲むとか、そういう飲食はよくありません。すべて体に毒になります。毒の服用を止めようとしない人には、治療しても追いつかない場合があります。そもそも飲食物は自然が与えてくれた恵みです。恵みとは求めて得られるものではありません。自然と与えられるものです。豊かな世の中だからこそ、その考え方を忘れてはなりません。

同志として

ぼくと同じ方向を向いていてほしい。それだけでいいのです。そうすれば、ぼくが背中を押し、手を引き、良い方向に行くことができます。これは鍼の力です。鍼がその方向に進めてくれるのです。しかし、僕と違う方を向いていると、押しても引いても動きません。

地球という大きな組織の中で、生きとし生けるものは同志でなければなりません。それに反しているのは人間です。温暖化の危機が叫ばれる中、人間だけが何をしているかということを考えてみることです。それが、人体という組織を平和に健康にしていくための学びになるのではないでしょうか。

感謝の気持ちこそ第一義に考えるべきです。それが過剰な欲を制し、組織をバランスの取れた平穏なものにするのです。家庭円満の秘訣もこれですね。家庭とは小組織です。

ガンはとてつもなく大きな壁です。この壁にぶつかった人は必ず大きな苦しみを感じます。そしてこう考えられるか。「なぜ自分はこのような病気になったんだろう…。」その原因を一緒に考えるのが、正しい治療です。そして、その原因は、自力で解決しがたいものであるに違いありません。それを共に解決しようと努力しあう同志…それが患者と医者の関係であらねばならないと思います。


その3…ガンの材料

「その1…真の原因」、「その2…願いは叶う」に展開した内容を踏まえて、いよいよ東洋医学的な考察に入っていきたいと思います。

病因とは

「ガン②…良くも悪くも願いは叶う」で、ガンの原因を以下のようにご説明しました。そのまま転載します。

ここでいう自由とは、あくまで過剰な自由のことです。人間のやることは、
①食べる
②寝る
③動く
④思う
つまりは、これだけなのです。この4つに節度がない状態、それが過剰な自由です。

①ならば、どのように飲食しても自由だという考え方です。食べ過ぎ、お酒の飲みすぎ、間食、朝食を抜いたり、ご飯を食べずにおかずばかり食べたり、などです。

②ならば、どのように寝ても自由だという考え方です。睡眠時間の不足、太陽が出ても起床しない、夜更かし、ゴロゴロして動こうとしない、などです。

③ならば、どのように動いても自由だという考え方です。働きすぎ、遊びすぎ、セックスのし過ぎ・運動しすぎ・旅行しすぎ、ゴルフし過ぎ、山登りしすぎ、タブレットのいじり過ぎ、マージャンし過ぎ、などです。

④ならば、どのように思っても自由だという考え方です。たとえば、人を憎んでも良い、腹を立てても良い、執着しても良い、興奮しても良い、などです。人間として無理もないことですが、こういう考え方はよくない、という知識は持っておくべきです。その方向のへ進み続けると、ワガママになります。やがて必ず行きづまります。行き詰まったら、それがストレスとなるのです。ストレスが病気の原因になることは周知されてきていると思います。

以上が、病気 (ガンも含めた) の原因です。

これらを病因といいます。これら病因から、気滞・湿痰・瘀血・邪熱という、ガンを形成する邪気を作り出すのです。これら病因からどのようにして各邪気が作られるのか。それをご説明する前に、まず邪気とは何かをご説明したいと思います。

前提として

その前に、東洋医学が何を基本にした医学か、ということを明確にする必要があります。邪気という言葉だけで誤解してしまう方がおられます。

そもそも西洋医学と東洋医学は、まさに陰陽の関係にあります。両方を対比することによって、双方がどういうものかが初めて理解できるのです。

機能とは

まず、なじみのある西洋医学からです。西洋医学は物質を基礎とした学問です。だから、診断には写真が多用されます。目で見えるのが物質の特徴です。

対して東洋医学は、機能を基礎とした学問です。この機能というのが、実は理解しにくい概念なのです。たとえば、脳とこころの関係です。脳は物質です。だから写真に撮れます。こころは脳の機能ですね。これは写真に撮れません。目には見えないのです。脳という物質は解剖学と生理学を勉強すれば分かったような気になりますが、「こころ」を理解するのは至難の業ではないでしょうか?

物質と機能の例をもう少し挙げてみましょう。砂糖の白い粉、そして甘さ。粉は物質なので写真に撮れます。しかし甘さは機能なので写真には撮れません。甘さを失った白い粉は、もはや何の用も為しません。物質と機能は、実体と実用の関係にあります。実用が失われると、実体の存在意義はなくなるのです。

たとえば漬物石にちょうどよい石を河原で拾ってきたとします。河原にあったときはただの石ころですが、漬物の上に乗せた瞬間、漬物石に変わり、機能が生まれます。しかも、この漬物石を単独で見せられても、ただの石にしか見えず、漬物石と分かる人は少ないでしょう。つまり、漬物石は写真には撮れるが、機能 (はたらき) は見えないのです。ただし、この石を使っている人には見えています。

生命は機能

機能というものが、かなり難解かつ重要なものということがお分かりでしょうか。分かりやすい例でもこの通りです。人間という複雑極まりない、物質的に見ただけでも複雑きわまりないものの、その機能とはいったいどれだけ難解なのでしょう。一人の人間の血管を一本につないだら、なんと地球を2周半もする長さがあると言います。そんな血管に備わる機能とはいったい…。天文学的に頭がおかしくなりそうです。血管という物質一つとっただけでもこうなのです。

人体とは物質です。生命とは機能です。人体に比して、生命とは、はるかに理解しにくいものである。かつ、重要なものである。それがまず前提です。

例えで理解する

機能を基礎とする東洋医学が、いかに難解なものか。それは想像をはるかに超えたものなのです。あまりにも物質的科学からかけ離れ過ぎているため、ともすると荒唐無稽と捉えられがちです。東洋医学でいう「気」とは機能のことです。3000年前には機能という言葉がなかったので、気と表現しました。

これから各論に入りますが、このような難解な「機能」を説明するために、東洋医学がとってきた方法、それは「たとえ」です。たとえば、「こころ」を説明するのに、写真を使って分析したり伝えたりすることはできません。どう説明するかというと、たとえば「温かい心」「冷たい心」「トゲトゲした心」など、何かに例えていることが分かります。以下の説明は難解な機能というものを、例えて説明したものです。これもご承知ください。

邪気とは

さて、邪気についてです。もちろん、東洋医学の概念なので機能をしめす概念です。正気と邪気、という風に、対照的にみて理解します。正気 (せいき) とは生命力・回復力・体力のことです。邪気とはそれを邪魔する力です。力とは、機能のことです。

気滞・湿痰・瘀血・邪熱という各邪気が、正気を弱らせ、死に至らしめる。ガンとはそういう病気なのです。しかし、最初からこれら4つのカートが揃うわけではありません。長い間かけて揃うのです。

気滞とは

ガンの本質は滞りです。

最初は気滞から病気は始まります。気滞とは気の滞りです。ここでの気とは狭義の気で、前に進む力のことです。生命は循環してやまないものです。その推動力が気です。進む力・動く力というのは、生命という機能の証しともいえるものです。力はとうぜん写真に撮れません。力も機能も同義です。

精神的に前に進めない…これはストレスです。肉体的に前に進めない…これは循環障害です。これらをひっくるめて気滞といいます。気滞はあたかも風船玉・シャボン玉のようなもので、一瞬で消え去る可能性があります。しかし、幼少期から多大なストレスがあった人は、そう簡単に気滞がなくなることはありません。取れやすい気滞から、取れにくい気滞まで、様々なグレードがあるということです。しかし、気は純粋な機能なので、実体がないことに変わりはありません。

湿痰とは

できもの・はれものは、湿痰です。ガンも内部にできた腫れものなので、湿痰が材料になって形成されます。

湿痰はどのようにして生まれるのでしょうか。気滞が陳旧化すると、湿痰になります。湿痰とはネバネバした性質のことです。性質も写真に撮れない、つまり機能の一つです。

ネバネバは、気の前に進む力を邪魔しますから、湿痰には必ず気滞が伴います。気滞が陳旧化すると、必ずメンタルでの滞りから緊張が起こります。この緊張を我々は無意識に緩めようとします。間食・美食です。おいしいもの・甘いものを食べるとホッとしますね。しかし、ホッとするのは一瞬です。本来、生命が栄養面で必要としない栄養を摂取したのですから、余りが生じます。

たとえば、おなかの中にバケツのような容器があると考えてください。健康な人は、この容器に八分目の飲食物を入れる…これが腹八分に医者いらず、と言われるものです。八分目ならば、たとえば心臓が「栄養が欲しい」といったなら、バケツを運んで心臓に必要分を注ぐことができます。ところが十分目ならどうなるでしょう。運ぶ間にこぼれてしまいますね。

こぼれる前は貴重な栄養分ですが、こぼれてしまうと汚いものに変わります。フキンを持ってきて拭かなければならない。なかなか取れない。くさい。ベタベタする。これが湿痰です。さきに、気滞が湿痰になる…と極論しましたが、こうして湿痰は生じ、気滞をより強固なものにするのです。

瘀血とは

より強固なものになった気滞+湿痰は、瘀血を生みます。瘀血とはカチカチでトゲトゲした性質のことを言います。気滞+湿痰の滞りがさらに強化し、バージョンアップした姿が瘀血なのです。ケガをして血が出ると、血が固まってカサブタになりますね。そういうカチカチのものをイメージしてください。

腫瘍にも、柔らかいものと硬いものがあります。多くは、柔らかいものは良性で、硬いものは悪性です。柔らかいものは湿痰です。硬いものは瘀血です。瘀血は滞りの最終形態なので、もっとも年月を経たものであり、強固なのです。瘀血を治療で解いていくと、グレードが下がって湿痰になります。

邪熱とは

邪熱は火のような性質をもっており、火が燃え広がるような激しさがあります。ガンの進行、つまり腫大化・播腫・転移は、邪熱のレベルに比例します。

邪熱はどのようにして生まれるのでしょうか。気滞・湿痰・瘀血は、すべて滞りであるとまとめることができます。滞りは緊張を生みます。緊張は圧縮する力です。圧縮すると熱を生じます。これは自然現象でルールです。たとえば、空気を強く圧縮すると、そこに綿花などをいれておけば、綿花は燃えます。それほど圧縮には発熱作用があるのです。

滞りとは気滞のことですから、気滞が激しくなると熱を生む、その熱のことを邪熱といいます。湿痰も瘀血も、必ず気滞を伴います。ですから、気滞・湿痰・瘀血は、すべて邪熱を伴うことがあると言えます。気滞が化熱したものを単に邪熱といい、湿痰が化熱したものを湿熱といい、瘀血が化熱したものを瘀熱といいます。

気滞の原因

以上、邪気であるところのもの、気滞・湿痰・瘀血・邪熱についての説明でした。さて、これら邪気が、どのようにして上記の病因から生まれてくるのでしょうか。

まず、気滞の原因です。

どのように思っても自由だ…という考え方は、ワガママにつながることがあります。。ワガママは必ず通らない場面がおとずれ、その時にストレスが生じます。ストレスはメンタルを滞らせ、それはフィジカルに及びます。

体を動かさず、朝からゴロゴロしてばかりしていたり、ゲームばかりして動かなかったりすると、あるいは、体を動かし過ぎても、フィジカルの気滞になります。これはメンタルにも及びます。

湿痰の原因

つぎに湿痰の原因です。

もちろん、間食・食べ過ぎ・飲みすぎは湿痰の原因になります。バケツからあふれてしまうからでしたね。こうして生まれる湿痰はまだ単純なもので、除去しやすい傾向にあります。複雑なのは食べ過ぎてもいないのに生まれてくる湿痰です。

たとえばストレス・気候の急変・旅行や仕事や運動などによる急な無理・朝食を食べない・おかずばかり食べる…このようなことで、バケツは小さくなってしまいます。すると、普段通り食べていても、あふれてしまいます。

あるいは、慢性的に消化器が弱っているのに、食欲は正常であることもあります。弱っているのに気づけない。社会でもよくありますね。問題があるのに気づけない…。こういう類のものは根深いのです。消化器が弱いなら、それに合わせた食事量や食材でないといけないところを、健康な人と同じように食べられる。当然、バケツからあふれてしまいます。

瘀血・邪熱の原因

瘀血は、気体や湿痰による滞りが長引くとできます。これか大方だと思いますが、打撲・ケガ・手術などでもできます。

邪熱の原因は上記の「邪熱とは」に詳しく説明しましたが、夜更かし・暑さも邪熱の原因になりますので付記しておきます。

4つの邪気の凝集

気滞・湿痰・瘀血・邪熱。この4つのカードが揃い、それらが、もうこれ以上の奥がないという深いところまで追いつめられると、4つが一ケ所で集まる結果となり、ガンになります。

これら4つの邪気は、生じることが不自然なので、生じたら消えるのが自然です。それが消えないから、より深いステージに進むのです。そのステージが最終ステージになったとき、そこで邪気は留まります。たとえば気滞が最終ステージにたどり着いてしまったとします。次に湿痰も最終場所にたどり着く。邪熱・瘀血もたどり着く。そんな風にして凝集する。敵軍に4つの部隊があって、東門・西門と別々に攻撃し、本丸に侵入すると、期せずして顔を合わせることになる、というイメージです。

問題は、第1ステージで、なぜ邪気が消えてくれないのか、ということです。それが分からなければ、最終ステージでの邪気の消し方など見えるはずがありません。

身の丈にあわない

たとえば食べ過ぎがあるとする。食べ過ぎたらお腹がしんどくなりますね。湿痰が生じて不通となるからです。だから食べ過ぎないようにと気を付ける。すると、これ以上の湿痰が生じないため、生じた湿痰は徐々になくなっていきます。これが自然です。しかし、食べ過ぎているのに、それを食べ過ぎていると認識できない場合がある。そうすると、湿痰は次のステージに進みます。

つまり、認識できないのが問題なのです。なぜ認識できないか。2つ挙げられます。

1つ目は、生命が興奮状態にあるからです。興奮状態にあると、疲れを感じません。火事場の馬鹿力です。身の丈以上の力を出してしまう。だから、身の丈以上の食事量になってしまうのです。

2つ目は、人為的に症状を消してしまうからです。薬の乱用しかり、誤った治療しかりです。

疏泄太過が追いつめる

食べ過ぎは、胃における「無理のし過ぎ」です。しかも無理のし過ぎを認識できない。だからいくらでも無理をするのです。食事量だけでなく、仕事や遊びや人間関係においても、メンタル・フィジカル両面で、知らず知らずの無理のし過ぎってありますね。そして、それは、いつか正気 (しょうき) に戻る時が来る。症状の発現です。ストレス・胃症状・疲労感、各邪気の特徴となる症状は、ここで初めて自覚されます。

第1ステージで正気に戻る場合もあれば、第2、第3で戻る場合もあります。もしずっと戻らなくとも、最終ステージでは必ず正気に戻ります。それがガンの発病 です。

無理のし過ぎに気づけない状態のことを、疏泄太過と言います。疏泄太過が4つの邪気を最終段階という1ケ所に追いつめていたのです。そして、疏泄太過が、4つの邪気を新たに生み出すソースなのです。疏泄太過では、自覚のない気滞・自覚のない湿痰・自覚のない瘀血・自覚のない邪熱が存在します。

よって、気滞・湿痰・瘀血・邪熱を除去しつつ、そのソースである疏泄太過を治してゆく。これがガンを治療する方法となります。次回で詳しく展開します。


その4…3つの分類と治療法

3つの分類

東洋医学では、ガンを3つの段階に分類します。
①実
②虚実錯雑
③虚

①は正気 (生命力) が邪気 (生命力を邪魔する力) に対抗できる状態をいいます。
③は正気が邪気に対抗できない状態を言います。
②は①から③に至る過渡期です。

西洋医学的に見ると、①は初期ガン、②はステージ2~3、③は末期ガンです。

3つの治療法

①の段階ならば、瀉法をもっぱらに行います。瀉法とは4つの邪気…つまり気滞・湿痰・瘀血・邪熱を取り去る治療のことです。
③の段階は、補法をもっぱらに行います。補法とは正気を補う治療のことです。
②の段階は補法と瀉法を同時に行います。

もし、①の段階で補法を行うと、邪気を元気づけてしまい、ガンは悪化します。
もし、③の段階で瀉法を行うと、正気を傷つけてしまい、ガンは悪化します。
②の段階は、2つが混在した状態なので、的確な診断と治療が必要となります。

③の段階を治療し、②の段階になれば、これは好転です。ただし、②の段階になったのに補法ばかりを続けていると、邪気が元気づいてしまい、悪化します。ガンでの悪化は死の危険がありますので要注意です。補法だけではなく、瀉法を織り交ぜながら、邪気の除去を行わなければなりません。②の段階から①の段階に好転すれば、瀉法でガンを形成する邪気を徹底的に取り去ります。

以上が、東洋医学でのガン治療の基本です。虚実の見極め、これは東洋医学を学ぶ者にとって、最大の難所であり重要事項です。虚か実かの判定に確かな軸がなければ、虚実錯雑という複雑な状態に対応できません。

なぜ補法で悪化

ここで疑問が生じます。なぜ①で補法が邪気を補う結果となるのでしょうか。

それを知るにはまず、正気とは何か、邪気とは何かというところに、深い理解が必要です。

正気とは生命力です。生きる力です。当然、これがなくなると死にます。しかし、正気だからと言って必ず生命の味方かというと、そうではありません。

たとえば、大酒を飲もうと思えば正気が必要です。正気が瀕死の状態では飲めるものではありません。しかし、大酒を飲もうという正気は、旺盛であればあるほど、生命にとっては敵となります。たとえば逆に、正気が弱って、大酒を飲もうという気にならなくなったとしたら、その正気の弱りは、生命にとっては味方となります。正気が弱っているからといってむやみに正気を補うと、また大酒を始めてしまいます。

つまり正気を、正しいことに使うのか、誤ったことに使うのかによって、正気はより正気らしく盛んとなったり、正気が邪気に転化したりするのです。

転化…これは陰陽を学ぶ上でのキーワードの一つです。

陰陽…消長の法則

転化を考える前に、もっと基本となる陰陽…消長の法則について考えます。

正気と邪気は陰陽関係にあります。補と瀉も陰陽です。正気と邪気、補法と瀉法という陰陽は、消長の法則が効いています。消長とは、いわば振り子の法則です。

たとえば補法の治療を行うとします。この段階では、陰陽消長の法則により、優劣という陰陽の振り子が動いています。優 (正気の優勢) が陽だとすると、劣 (邪気の劣勢) が陰になります。陽は陽らしく、陰は陰らしくあるのが正常です。つまり、正気は優勢であり、邪気は劣勢であろうとします。これが正常なのです。陰陽のバランスが取れているのです。左に振り子が動く…つまり、正気の優勢がハッキリする。右に振り子が動く…つまり邪気の劣勢がハッキリする。

補法とは、振り子を左に動かすことです。つまり正気の優勢をハッキリさせることです。すると結果として振り子は右に動きます。つまり邪気の劣勢がハッキリするのです。

瀉法とは、振り子を右に動かすことです。つまり邪気の劣勢をハッキリさせることです。すると結果として振り子は左に動きます。つまり正気の優勢がハッキリするのです。

これが「補は瀉なり、瀉は補なり」と言われるゆえんです。

以上は、陰陽が正しく働いている状態の話です。そういう状態を「常」とするならば、「変」が必ずあります。常と変も陰陽です。補法で悪化するのは「変」です。振り子が機能しない異常事態です。

陰陽…転化の法則

素問・陰陽応象大論に、

「陰陽は、天地の道なり。万物の綱紀、変化の父母、生殺の本始、神明の府なり。」

とあります。これを意訳・超訳します。

『陰陽とは、天地万物の本体ともいえるものだ。この本体とは、存在する意味のことである。万有は「動き」 (静と動) がある。働きがある。太陽も星も生まれて死ぬと言われる。宇宙そのものに命がある。使命がある。その命こそ「動き」の原動力であり、物質が存在する意味なのだ。意味とは主観 (心神) によって与えられるものである。』

たとえば、ここに刃物が一丁あります。これは使う人の考え方一つで、生命の糧となる料理を生み出したり、生命を傷つけたりできるのです。生かす・殺すは、まさしく陰陽です。生に転化したり、殺に転化したり、陰陽とはこのようにして転化するのです。

要するに、気というものは、正気に転化したり、邪気に転化したりするのです。刃物と同じく、「考え方」一つなのです。

心神・肝魂

「考え方」のことを東洋医学では心・肝といいます。心は神を蔵し、肝は魂を蔵します。神と魂もまた陰陽関係にあり、神とは自意識、魂とは無意識のことです。自意識から無意識に移行します。つまり、「酒の飲みすぎは体に悪い」という知識は自意識です。この自意識が強いと、「なんとなく酒が飲みたくない」という無意識が育ち始めます。もし、この自意識が弱いと、「なんとなく酒が飲みたい」という無意識が制御できなくなります。

ただし、「飲みすぎは体に悪い」という自意識が存在しても、「なんとなく酒が飲みたい」という無意識も、同時に存在することが多いのです。その時、自意識と無意識で、どちらが力が強いかというと、無意識の方が強い場合が多い。分かっちゃいるけどやめられない…というやつですね。こういうケースの時、無意識を鍼で治すことができます。

誤った肝気

このとき、自意識は正しいですが、無意識の方は誤っていますね。この誤った無意識 (肝魂) のことを「誤った肝気」と呼んでいます。中医学的には肝気偏旺といいます。逆に、無意識も正しいならば「正しい肝気」と言えます。

もし、自意識が間違っていて、それを教えても信じようとしない場合、これは助かりません。「この肝ガンの原因はお酒の飲みすぎだよ」と教えても、信じない人は治る可能性はありません。そういうことです。東洋医学では「巫を信じて医を信ぜす」 (占いを信じて医学を信じない) と言われ、そういう人は治ることはないと断言しています。

さて、以上のことから、誤った肝気と正しい肝気があるということが分かります。肝気とは正気の一部です。つまり、肝気が正しいか誤っているかによって、正気がどういう使われ方をするかが決まる、言い換えれば、気が正気になるか邪気になるかが決定する、と言えます。これは大変重要なことです。肝はそれほど大切なのです。ガンを治せるか治せないかは、肝を治せるか治せないかが筆頭課題となります。

誤った疏泄

正しい肝気は、正しい疏泄につながります。正しい疏泄ができていれば、絶え間なく流れる川のように、滞ることなく、何をやっても箱を差すようにうまくいきます。もちろん健康だし、寿命を全うし、最期も安らかで苦しみません。

誤った肝気は、誤った疏泄につながります。誤った疏泄をするということは、誤った方向に進んでいくということです。しかし、本人にその自覚はありません。だから進んでいくのです。しかしそれは、いずれ滞りとして現れます。誤った道は続かないからです。その時、苦しみを伴います。この姿か病気です。

苦しみがあれば、我々は何とかしようとします。深酒も控えるかもしれません。そこで正気を補うと、苦しみが取れてきます。すると、滞って進めなかった誤った道を、もう一度進もうとするのです。だから邪気を瀉す必要が出てくるのです。つまり、邪気を瀉す目的は、誤った肝気を正しい肝気に転化することでなければなりません。

疏泄太過

誤った肝気、すなわち誤った疏泄には、疏泄不及と疏泄太過があります。これも陰陽です。疏泄不及は、ここでいう気滞です。疏泄太過は、肝気偏旺や相火妄動も含んだ概念です。中医学でもまだ、うまく説明できていませんし、着眼できていません。

まとめると、正気を補っているのに邪気が増えてしまう原因は、疏泄太過にあるといえます。
心神・肝魂という陰陽。
肝魂には、正しい肝気・誤った肝気という陰陽。
誤った肝気には、疏泄不及・疏泄太過という陰陽。
心神・肝魂が誤っている状況下で、正気を補うと、誤った肝気を補ってしまい、疏泄太過を助長したり、疏泄不及をひどくしたりするのです。

補瀉よりも大きな陰陽を動かす

正しい肝気・誤った肝気とは、正しい正気・誤った正気につながります。正気が君主だとすれば、肝気は将軍や宰相という実働機関です。肝が相火と言われるゆえんです。そういう意味では、肝気は正気に勝るのです。日本でも、征夷大将軍が天皇よりも力を持っていましたね。つまり、肝気の正・誤という陰陽は、補・瀉という陰陽よりも、高次の陰陽であると言えるのです。

補瀉、すなわち「正気の優勢」「邪気の劣勢」という陰陽の振り子は、実は、「正しい肝気の優勢」「誤った肝気の劣勢」という陰陽の振り子の、下にぶら下がったものだったのです。上の陰陽が機能して、初めて下の陰陽が機能します。だから補瀉は難解なのです。

より大きな陰陽を動かすことが、難病治療には必要です。その陰陽を動かす…疏泄太過を治療する…これは正しい疏泄に変えていくということです。正しい疏泄にできたならば、疏泄不及にもならなくなります。瀉法を行うにも、補法を行うにも、疏泄太過の芽を摘み取りながら行わなければ、完治はありません。

以上の内容を図式化して説明を補足します。


正しい肝気のもとでは、正しい正気が機能します。陽が陽らしくなれば、陰はますます陰らしくなる、という陰陽の法則に従い、正しい正気が機能を拡大すればするほど、誤った正気は機能を縮小します。そういう振り子のもとでは、正気の優勢であり、邪気は劣勢であるという優劣の振り子が動いています。もし病気になったとして、この優劣の振り子が揺れている限り、治ってゆきます。


肝気が狂うと、正しい肝気から誤った肝気に振り子が動きます。この動きは数日でまた正しい肝気に戻るものもあるし、生涯で一往復しかしないような揺れ方もあります。
誤った肝気のもとでは、誤った正気が機能します。誤った正気のもとでは、先程の優劣の振り子ではなくなり、正気と邪気の振り子となります。陽は陽らしくなれば、陰はますます陰らしくなる、という陰陽の法則に従い、正気が勢いを増すほどに、邪気の勢いが増します。ただし、誤った肝気のもとでは、その自覚ができず、ために自覚症状が出ません。
疏泄太過は、自覚症状のない虚実錯雑証ということもできます。


誤った肝気は、いずれ必ず正しい肝気に戻ります。正しい肝気・正しい正気が機能し出すと、はじめて自覚症状が出ます。自覚症状とは健康状態にフィードバックする重要なカギだからです。
しかし、誤った肝気のもとで培われた、正気が正気らしくなれば、邪気も邪気らしくなるという陰陽関係は持続し、治療の難しい虚実錯雑になります。正邪という陰陽が揃ってしまう、これは正優・邪劣の陰陽の境界が侵された状態で、少陽病ということもできます。

疏泄太過の治療

診断点としては、中脘・気海・公孫が重要となります。中脘の邪が小さく気海の虚が大きいもの、公孫が虚しているものは注意が必要です。気海・公孫の虚を消すように治療すると、疏泄太過の勢いを食い止めることができます。治療方法は無限にあると思いますが、疏泄太過に効果が確認できている穴処として、百会・神門・関元などが挙げられます。

特に百会は、手足の少陽・足の太陽・足の厥陰が流注しています。とくに手足の少陽が流注しているということは、邪気を排泄するのに非常に有効で、疏泄太過の治療と排邪を同時に行うことができます。少陽は開闔枢の枢にあたり、太陽ルートもしくは陽明ルートに邪気を仕分けして排邪を促します。気滞・湿痰・瘀血・邪熱を問わず、条件さえそろえば、百会で治療することができます。

動かす力

最も大切なのは、術者が患者の現状をよく理解することです。ツボの反応など診なくても、疏泄太過の程度を見抜くこと、それには患者さんの心に寄り添うことが不可欠です。寄り添うためには、術者に人間としての経験が豊富でなければなりません。人生の壁から逃げずに向き合ってきたか。それさえできていれば、自然と経験・知識は得られます。

確かな理解、そして技術。その基礎のうえに誠意と熱意が加われば、疏泄太過は治癒します。誠意と熱意とは、術者と患者双方のものです。

誤った疏泄を正しい疏泄に変えてゆく。難しいことに違いありません。誤った生き方を正しい生き方に変えてゆくことと同義なのですから。しかし、それができれば奇跡です。三千年の歴史を経てなお輝きを失わない鍼の力は、山をも突き動かす力なのです。

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