秋分…格拒と朝の痛み

萩の花は満開、寝にくかった夜の気温は急に下がるとともに、稲穂には朝の白露が滴り、ヒガンバナの蕾や花が田の畔を彩る季節になりました。

やっと過ごしやすくなったと思う間もなく、ある症状が気になり始めました。起床時の痛みを訴えられる患者さんが、急に増えたのです。起きて1時間ほどすると痛みがましになるということです。

中医学的には、痹病を疑います。風寒湿の外邪ですね。

それに加えて、以前から僕なりの見解がありました。

単純に考えると、寝ている間はジッとしています。これは気滞を作る要素になり得ます。そして、動き始めると痛みが治まってくる。これも気滞と考えると説明がつきます。動いたらましになるというのは、明らかに実証です。気滞がある。これは確定です。

その一方で、動き出すと痛みが取れるのに、翌朝になるとまた痛い。毎日痛い。これは痛みが継続することと同義です。慢性的な弱りがあるのです。虚証の特徴は、激しくない痛みが継続的に続くことです。では、何の弱りがあるのでしょうか。

気滞を助長する弱りとは、血虚です。気と血は陰陽関係にあります。気が陽で、血が陰です。陰陽は真逆の性質をもちながらも、お互いがお互いを助け合う関係にあります。男と女は陰陽です。真逆でありながら、互いに助け合いますね。いま、血が弱ると、気はその弱りを補い、陰陽の大きさを狭めまいと頑張ります。妻が病気になれば、夫が妻の分も頑張り、家庭を今まで通り保とうとするのです。しかし、ともすると気は、頑張り過ぎてしまうことがあります。夫が頑張りすぎてしまい、かえって一人相撲を取ってしまうのです。

こういう状態を、気実血虚といいます。疏泄太過とも似ていますが、純粋な疏泄太過は無症状です。だからそれに準ずるものと考えてもいいと思います。

疏泄太過については、こうも言えます。そもそも朝起きて痛いというのは不思議です。なぜかというと、寝た後だからです。寝るというのは体に負担をかけません。それだけでなく、疲れが取れているはずです。にもかかわらず痛いのです。朝は「生」です。最も素直な状態であり、この時痛いというのは、本来の姿と捉えることができます。だとすると、朝以外の時間では痛くないことがウソで、痛みを感じないほどに興奮しているとも考えられます。

そういう状態の中で気実血虚がある。気実は陽が病んでいる姿、血虚は陰が病んでいる姿です。陽が一人相撲をとり、陰は病床で臥せっています。つまり、陰も陽も病んでいるのです。先ほど陰と陽は互いに助け合う、どちらかが病んだらどちらかがサポートするといいました。だから陰陽同病は異常事態なのです。

陰陽がともに病む理由として、よく見られるのは陰陽の幅が小さいということです。陰陽の幅が小さくなるということは、陰が縮小し陽も縮小するということ、つまり、陰が陰らしく、陽が陽らしくいられないということです。夫は夫としての役割を最大限に、妻は妻としての役割を最大限にするから、健全な過程が作れるのです。それができないと、陰と陽との区別があいまいになります。これが陰陽幅の少なくなった状態の特徴です。だから、どちらかがどちらかをサポートするという明確な区切りがなくなり、双方病むということが起こってしまうのです。

気滞を除去し、血を補うということも大切ですが、陰陽幅を増やすという観点こそ大切なのです。

以上が旧来の僕の見解です。

さて、この秋、気づいたことです。

急に朝の痛みを訴える方が多くなり、当然、陰陽幅を増しながらの治療で向き合っています。

ぼくは臨床家ですので、もっと良い手はないか、常に探しています。今回も、陰陽幅を増やすのにもっと早い方法はないのか、という探求心がありました。今まで用いてきた方法が最善なのか。もっと良い方法はないのか。

まず、望診です。表証は見て取れません。
脈を診ます。幅が少ない。これは陰陽幅の少なさを証明する事項です。
腹を診る。太白・太谿を診る。主要となる邪気を噛分ける。気滞 (気実) です。
念のため復溜を診るが反応なし。やはり寒邪は主要矛盾ではなさそうです。
おそらく、血虚がある。三陰交を探るが反応なし。血海も反応なし。
血虚ではないのか? ならば、陰陽同病の原因は気実血虚ではないのか?
要穴の反応を端から順番に見てみることにしました。
太衝・丘墟など、気滞を示す反応は、やはりあります。なぜか合谷には出ないのを気にしながら。
章門に邪がある。血海には実の反応がある。三陰交にも実の反応がある。これは営血分の熱を示します。
ここでピンときました。気分と営血分が両方病んでいる。これもやはり陰陽同病だ。
百会に鍼を打ちます。目的は気滞を取り、疏泄太過を正すことです。しかも営血分にも届くよう、前に向けて斜刺です。当然、三陰交をはじめ、章門・太衝なども、その瞬間に反応が消えます。

ところが血海だけは反応が消えない。5分後に抜鍼するときも、まだ消えません。よくみると、左右両側出ていたのが片側になっています。20分の休憩の間、血海を注意してみていると、左に右にと反応が何度か入れかわり、20分が終了してやっと消えました。このとき、血海をよく見てみると、不思議にも血海には寒邪が出ていました。

変わった現象だなと、他の患者さんでも注意していると、チラホラと血海に寒邪があります。三陰交はと見てみると、浅部は気滞・深部は邪熱で、これは理論通りです。血海も三陰交も営血分の反応を示し、瘀血や深い熱を教えてくれる穴処です。

さて、ここからどういう理論が導き出せるでしょう。

この朝の痛みは、陰陽同病で陰陽の幅が小さくなっていることで間違いはありません。しかし、気滞+血虚ではなく、気滞+営血分の熱です。おそらく、夏の暑さで正気が弱り、陰陽の幅が縮小しかけたところに、急激に季節が追い付き涼しくなったため、もともと居座っていた邪熱を、寒邪が弾き飛ばし、それが深いところに押し込まれ、営血分の熱となったためだろうと思います。

冷えが熱と入り混じらず、弾くことを格拒といいます。たとえばヤカンにお湯を沸かし、それを蛇口の方に移動して冷水を勢いよく入れると、熱湯と冷水がぶつかり合って、ブクブク泡立って沸騰します。突沸です。たとえば味噌汁のようなものを、ナベいっぱいに冷蔵庫で冷やしておいて、それをガスにかけ、強火で沸かそうとすると、突沸して周囲に飛び散ることがありますが、これは液体の粘度が高く、下の熱さと上の冷たさが対流せず、別々のままになるので起こる現象です。生卵を電子レンジで加熱すると爆発するのも同じです。気象でも、太平洋の温かい空気と、大陸の冷たい空気がぶつかり合うと、その寒暖差が大きければ大きいほど激しい風雨が起こります。人体も自然なので、同じ現象が起こります。激しく突然起こるアレルギーはこれによって説明できます。

今、述べるところの朝の痛みは、まだそれほどの激しさがないので、穴処の反応で判断するしかありません。血虚がないので、一過性の朝の痛みとなる可能性もあります。しかし、スムーズに治しておかないと、血虚化する恐れがあります。また、営血分に熱をくすぶらしておくと、もっと寒くなったときに一気に激しく出る恐れもあります。

合谷に反応がないのは、疏泄太過があるからかもしれません。合谷は純粋な気滞 (疏泄不及) でなければ反応しないのでしょうか。今回のケースは疏泄不及と疏泄太過の混合型です。まあ、いつもこんなふうに、仮説を作っては崩し作っては崩し…を繰り返しています。その中で本当のものが見いだせるかな…と。

朝の痛みは、全体としては気滞です。しかし、そこには営血分の熱が隠れていて、その熱の原因となったのは寒邪です。そういう寒邪は血海に反応が出るのかな…というところで、今回の考察は終了です。こういう朝の症状は、痛みに限りません。花粉症で朝がひどい・朝のしんどくて起きられない、その他、朝に目が乾くという方もおられます。そういうものすべてに応用できる可能性があります。さあ、今回の直感が、5年後10年後も使えるものなのか。日々の臨床の中で、いいものならば残っていくはずです。

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