漢方技術を生かした診断方法の確立を

そもそも、健康とは、という問いに答えるのは難しい。たとえ病気でも今まさに回復に向かおうとしている状態もあれば、健康でもこれから病気に向かう直前の場合もある。これを、どちらのほうが健康であるとするのか。

  人の一生には健康と病気という、繰り返し起こる波のような浮き沈みがあるが、その波は3つに分類することができる。すなわち、
①回復直前あるいは途上の状態、
②悪化直前あるいは途上の状態、
③一定して変わらない状態、
である。

  この3つの分類を明確にできれば、現在一般的な病気の識別法と考え合わせると、「健康」の見え方が変わる。

  この分類を行える便法が漢方にはある。手首の動脈を触診する「脈診」という診察方法である。この診察法は、治療方法や予防方法の比較・精鋭化を進めるうえでの利用が可能である、と私は考えている。

  医療にはたくさんの診察方法がある。これらが、それぞれに重宝されるのは「普遍性」を持っているからである。ただし、たとえば MRIと血液検査とでは得意とする分野が違うように、個々の診察方法に完全な「普遍」はありえない。MRIでは分からなくても血液検査で分かる病気もあるのだ。脈診もまた、不完全ながら、さまざまな診察法のなかの一員として機能するだけの普遍的側面を備えていると思う。そうした側面を持つ診察方法が増えれば増えるほど、他を補い合い、治療方法の最善の選択ができるはずだ。それが、イコール良い治療といえる。

  脈診の大きな欠点は2つある。ひとつは、解剖学的にどこが悪いかという診断ができないこと。もうひとつは、触診による診察ゆえに、ひどく感覚的に陥りやすいことである。脈診が2千年も前から受け継がれていながら、一般的診察法として浸透しないのは、2つ目の原因に負うところが大きかろう。

  はたして指先の感覚は、誰もが共有し受け継いでゆけるものなのだろうか。脈診とは脈のいったい何を診て診断するのだろう。

  簡単に言えば、脈の波動を診るのが脈診である。

  子供でも脈はとれる。ちゃんと動きを観察できるからだ。ただし、このとき彼らが見ているのは、血管が伸びる方向に対して垂直方向の波動、皮膚側の上っ面でのみである。

  だが考えてみれば、血管はそのような方向には流れない。ひじから手に向けて、血管が伸びる方向に対して水平に流れる、そういう脈の波動もあるはずである。ではその水平方向の脈が見分けられるかというと、これがなかなか難しい。さらに、血管がホースのようなものでそこに断続的波動があれば、上っ面だけでなく、骨側の下っ面にも垂直の波動があるはずである。しかしこれも診るには熟練が必要である。どうしても上っ面の波動のみを意識してしまうからだ。

  上っ面の波動の観察は簡単だが、水平と下っ面の波動は観察しにくい。往々にして我々は、それぞれが確かに存在するものであることを思わず、上っ面の分かりやすいもののみが全てかのように語ってしまう。これが、この診察方法の研究が進まないことの根拠であり、もっと研究をすすめてよいことの根拠たりえないだろうか。

  上っ面と下っ面と水平の3つを同時に診たとき、波動の組み合わせが見えてくる。組み合わせには多くの型がある。点を動かすと線ができ、この線を縦横に組み合わせることで、さまざまな平面図や立体図ができるが、波動は線のようなもので、脈は図形のようなものである。こうした分類が診断を可能にする。

  良い治療とは一つではない。手術・薬物・カウンセリング・漢方薬・鍼灸・養生法など、正しい診断から得られる方法論は無限にある。どれがもっとも適切な方法かを知ることは、診察方法の多面化による病態把握技術の進歩、つまり診断力の向上なしには考えられない。

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