本能との付き合い方を探ろう

私には3人の子供がいます。美男美女とはいきませんが、それでもそれぞれかわいらしい顔をしています。

人間を作り出すのは人間です。これは間違いないのですが、「つくる」という言葉に、少しおこがましさを感じることがあります。一から図面を起こして、材料を吟味し、色・形・大きさ・・・これらを自分で決めて作ったわけではないからです。もしすべて自分で作ることが出来るとしたら、体は丈夫で頭はとびきり良い子に、背と鼻は少し高い方がよい、性格は人に好かれるよう、等と考えプログラムするでしょう。でも、私がこの手でつくってきた数々の力作を振り返ってみると、思い通りにできるなんてとても言えません。絵に描くだけでも満足にできないのですから。

今ここにいる3人の子供は、欠点も多いけれど、そう考えると奇跡的によくできています。

この奇跡を作り出すのは紛れもない人間です。しかし、私自身の意識が為し遂げた偉業では決してありません。では私の何がやったのか。それを今は「本能」と呼びたいと思います。

本能は私たちの意識とは関係なく、驚くような正確さで生命を営んでいます。たとえば体温。人間の体温は約37℃ですが、これをわずか1℃もずれないように調節します。ナベに水を入れ火にかけて、この温度を何十年と機械に頼らず保ちなさいと言われたらどうでしょう。

本能の仕事は他にもたくさんあります。呼吸・循環・消化・排泄・免疫など、挙げればまったくきりがありません。医学者でもこれらすべてを把握している人などいません。ところが我々の本能はそれを実によく知っている。それが当り前のようにして毎日をそうやって過ごしているのです。

たとえば、水をたくさん飲めば体にいいと言いますが、本当でしょうか。それを最もよく知っているのは、医者でも製薬会社でも健康雑誌の編集者でもありません。ほかならぬ我々の本能なのです。体の水分が不足すればのどがかわく、本能は飲むべき時期と必要量をオーダーメイドで教えてくれています。これは他の栄養素でも同じです。健康食品やサプリメントが蔓延する我々の日常を、本能はどんな顔で見ているのでしょう。

本能が求めないものをあえて取り込もうとするならば、本能以上に我々の方が体のことを把握していなければなりません。たとえば塩は体に必要不可欠な栄養素ですが、無理に摂取すれば病気になります。「ほどほど」からはみ出すとよくありません。これは世の中すべてのことに言えることです。

本能の卓越した能力は見てきたとおりですが、では、もろ手を挙げて賞賛してよいのかというと、そうとばかりも言えません。実は良い面ばかりではなく、悪い側面もあるのです。たとえばメタボリックシンドローム。肉をたくさん食べたいと感じるのも本能です。この場合、本能に身を預けていたら大変なことになります。本能は善悪の二面性を持っているのです。本能とはいったい何者なのでしょう。

本能の最大の支配者は脳です。「水を飲みたい」「肉を食べたい」という感覚からも分かるように、本能はしばしば我々の「こころ」にも顔を出してきます。これは脳の中の間脳と呼ばれる部分が主役です。その本能にたいして、我々は「理性」を持っています。これは大脳の働きです。

人間の大脳は、進化の過程で、驚異的なほど短期間の間に大きく発達しました。一方、間脳の大きさは進化以前とほとんど変わっていません。動物にはない巨大な大脳を持ち、理性を発達させたことが、本能に善悪の二面性をもたらした原因であると私は考えています。

大脳のもつ理性や理知は文明を生みだし、我々の生活は猛スピードで非常に便利になりました。おいしいものは手に入る、好きなところに移動し、好きな時に好きなものを見たり聞いたり。そうした中で「水が飲みたい」というような素朴な本能をはるかに超えた本能が、いつの間にか植えつけられたのではないでしょうか。

元からある正しい本能は生命維持のために驚くような能力を発揮するが、植えつけられた誤った本能は生命を破壊してしまう。その両極端さをわきまえることなく、絶えずささやき我々の背中を押してくるのです。こんな難し屋の本能と、一体どのように付き合ってゆけばよいのでしょう。

大脳だけが急速に大きくなったことによる大脳と間脳とのギャップ。それによって間脳に宿ってしまった誤った本能。本来の本能には従順に従い、誤った本能のみ制するという見極めが出来るのは、ほかならぬこの大脳です。アンバランスなまでに進化した大脳の持つ理性は、間脳の持つ本能を押さえつけるのではなく、それを育てる能力を求められるところまで時代は進んだのかも知れません。

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