メタボ検診義務化によせて

私は漢方医学を専門として臨床に携わってきた。もともと漢方では生活習慣改善による予防医学が大きな柱であり、当然私のテーマもそれである。昨今、いわゆるメタボ検診の義務化など、生活習慣病がにわかにクローズアップされつつある。生活習慣病の本質とは何か、脳科学的な視点も交えながらこれに迫ってみたい。

メタボリック症候群は、肉食を中心とする欧米型の食事の偏重と、運動不足が大きな原因だ。そもそも、どんなものを食べるか、どれだけ運動するかを決定する根源は、脳による「意識」の働きにある。
この意識には、「なんとなく野菜が食べたい・運動したい」という体にとって正の方向に働く意識と、「なんとなく肉が食べたい・運動したくない」という体にとって負の方向に働く意識とがある。この正と負の2つの意識のバランスが重要なのだ。

わたしは、正の意識を選択するか負の意識を選択するかは、一種の「反射」であるととらえている。

栄養が不足すれば食べたいと感じ、水分が不足すれば飲みたいと感じる。これは考えてすることではない。腐った肉を出されたら誰しも顔をそむけるだろう。食べてしまわないように反射的に身を守っているのだ。これが本来の反射である。

だが次の例になると話は少し微妙だ。腐った肉ではなく、おいしそうな肉の場合である。
通常、肉に含まれる成分が体に不足している時は肉が食べたくなる。また肉をたくさん食べた後はしばらく肉が食べたくなくなる。肉の成分を必要量取り込み、これ以上は過剰になることが反射的に意識に伝わったからだ。このように反射がうまく働けば問題ないのだが、実際にはそうもいかない場合がある。
メタボリック症候群の人の体は、肉の成分が過剰となっている。ならば肉を食べたくないと思うはずだが、はたしてそうだろうか。脂肪が足りていることが意識に正しく伝わるならば、メタボリック症候群自体おこりえない。しかし我々はしばしば、これ以上は体に害になるであろう肉を、もっと食べたいと感じる。

体に害になるものは反射的に避けようとするのが生命の持つ本来の働きであろう。だが、それがいつも正常に働くわけではない。誤作動を起こすこともあるのだ。

つまり反射にも、正の反射と負の反射があるのである。

このような無意識的な反射を繰り返すうちに、「好む」という明確な意識が自覚されるようになる。負の意識は負の反射が原因なのだ。

腹は満足しても舌が満足しない。やせたいが肉は好きでいたい。生物学的な前提にないことを、我々ヒトは日常的に経験する。急激な文明の発達によって、人間の欲求の上限が激しく変化し、本能的な嗅覚がついていけないのかもしれない。欲求という脳による働きと、他の身体の各器官との連携異常とでも言おうか。
このような矛盾した現実を生んでしまう原因は、負の反射にある。おしなべて病気というものは、無意識的な反射的行為が病因の一部をなしていることが思った以上にあると私は感じる。人間はもともと体によくないことをさける能力を持っているはずなのに、我々は体に良くないことを (食べ過ぎ・運動不足以外にも) 、それとは気づかず、知らず知らずにしてしまっているのではないだろうか。

負の反射を正の反射に戻すための方法論。私は、これが確立できれば衛生学に匹敵する予防医学になると考えている。反射の誤作動つまり負の反射があれば、負の意識はコントロールしたくてもできない場合があるということになる。これを論じることなく、メタボをクリアできるかどうかを本人の意志の問題と決めつけるべきではない。

反射的な意識の働き (人の好み) を変えることの難しさは想像以上である。理性的意識とは異なるシステムだからだ。ゆえに、人はそれを貫くために時には死をも辞さない (正しくは死をも意識できない) のである。

漢方は、「気」の概念に象徴されるように、意識と肉体を分けて考えることなく治療体系を生み出してきた。いわば古来の脳科学である。こうした視点が、生活習慣病の本質をついているとすれば、意思さえ強く持てば、あるいは強制すれば病気は減らせると考えるのは (それが検診の意図するところならば) 、あまりに安易である。

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