東洋医学の疲労って何だろう…「罷極」を考える

東洋医学には罷極 (ひきょく) という言葉があります。素問が出典ですが端的に過ぎ、謎が多い概念です。

「肝者、罷極之本、魂之居也、」 (素問・六節藏象論)

私見を展開しつつ、東洋医学が描く「疲労」とは何か、探ってみたいと思います。

字源から見た「罷極」

「罷極」について、字源にさかのぼると…
罷…网 (あみ) を取り去る、網を取り去り罪人を許す。ダラッとする。やめる。疲れる。
亟…頭から足までスキマなくタルミなく、ピンと張り詰めた状態で立つ。すみやか。差し迫る。
極…端から端に渡した棟木。

ここから罷極のいろんな意味が想像できます。

  • 疲れの程度が、差し迫った緊急の状態。…①
  • 差し迫った緊急の状態を取り去る。…②
  • 疲れでスキマのない満杯の状態。…③
  • 弛緩「ダラッ」 (ホッとする) と緊張「ピン」という陰陽を支配する。…④

将軍が「罷極の本」

これは簡単に言うと、「将軍」 (素問・霊蘭祕典論) の一つの性格です。「東洋医学の肝臓って何だろう」で説明したように、将軍はそもそも、責任感があり、怠りなく思慮深く、心優しき勇者です。

こういう将軍が、災害に直面したとします。すると、いままで封じてあった体力の貯金を一気に引き出し、それを使って災害対策に当たります。「火事場の馬鹿力」ですね。この力があるからこそ、我々は非常時を何とか乗り切ることができるのです。しかも将軍はそのあと、どこが痛いとか、大変だったとか、恩着せがましい態度を一切とりません。So Cool なのです。

「謀慮」で貯金をやりくり

そもそも正気は、先天の気・後天の気が協調して作るのですが、作った正気はその都度使い果たすものではありせん。稼いだだけ使っていると、まさかの時に困りますね。だから貯金をするのです。これを「謀慮」 (素問・霊蘭祕典論) をもって仕切るのが将軍です。

肝腎同源ですから、肝腎が協同して行うのですが、やりくりして貯金を作るのは肝で、貯金をしまうのは腎と考えればいいでしょう。貯金とは精のことです。もちろん、お金を稼ぐのは脾です。ここにも太陰 (国土・国民) ・厥陰 (将軍) ・少陰 (君主) の関係がみてとれますね。

この貯金は定期預金のようなもので、先天・後天の気によって作られた正気を、定期契約で封蔵しておくのです。それが3口あったとしましょう。

非常時、火事場の馬鹿力が必要な時、…① とうぜん普通預金だけでは足りませんから、定期の一つを解約して普通預金にします。定期の正気が一つ減ると、肝はそれに見合う邪気 (問題) を自ら引き受け責を負い、何事もなかったような顔をします。…②・③ 男らしいですね。

オンとオフの切り替え

非常時が過ぎ去れば、脾臓 (国土・国民) が作り続ける正気を、将軍がやりくりして貯め、普通預金を増やし、再び定期契約に戻します。どうやりくりするかというと、他国との無用の戦いを避け、できるだけジッとしています。国力を回復するのが優先か、勇猛果敢に前進するのが優先か、…④ そのバランスをつねに謀慮し続けながら。

このとき、国はどういう状態かというと、非常にリラックスした、ホッととした状態です。将軍は目配りを絶やすことはありませんが、国民は緊張状態から解放されます。そういうオン・オフの切り替えは、将軍の胸一つなのです。

定期預金が作れたら、それまで肝が黙って引き受けてくれていた邪気 (問題) は、消えてなくなります。将軍が休みなく謀慮してまで定期を作り直したい理由は、2口目に手を付けたくないからです。3口目の貯金に手を付け、これが尽きれば寿命となります。

罷極とは

罷極とは定期預金を作ったり解約したりする力のことであり、肝は平常時と非常時の波にうまく合わせて、…④ 使える正気の量を調整してくれているのです。蔵血作用と似ています。

それは同時に、差し迫った問題を水面下に引き込み、何事もなかった多ことにする働きでもあります。…② たった一度の問題で、体が立ち行かなくなるということは、あってはならないことです。事態の調整をはかり、かわしてくれているのです。

もし狂った将軍なら

今述べた「火事場の馬鹿力」は、国 (人体という組織) を思う正しい将軍が行った場合で、我々が生きていくうえで、必要なものです。

もし、将軍が狂っていて、自分勝手な人物だとしたら、どうでしょう。

まず、㋐が狂った場合です。将軍が預金の解約権を乱用して、「火事場の馬鹿力」を行使したらどうなるか。「火事」が終わった後も、預金を使うことをやめません。しかも、火事ではなく、どうでもよいこと (たとえば徹夜マージャンとか) に貯金を使い、定期契約に戻そうとしません。職権乱用です。疲れているのに疲れを感じません。

肝臓の機能は疏泄ですから、これは誤った疏泄 (疏泄太過) ということができます。

とうぜん肝臓は邪気 (問題) をどんどん引っぱり込むことになります。そして知らぬ顔をしているのです。本来であれば、ちゃんと整理して明朗会計にしておかなければなりません。「差し迫った緊急の状態を取り去る。…②」という働き…つまり罷極を悪用し、問題を隠しウヤムヤにしてしまうのです。いい意味で何事もなかった顔をするのか、悪い意味で何事もなかった顔をするのか、この違いは大きいですね。

ガンや脳梗塞など、水面下で黙々と進行し青天の霹靂をみる病気は、こういうことが絡んでいます。肝の治療がとても大切です。

狂った将軍、その他のケース

それと逆の場合もあります。普通預金で日々の生活をしなければならないのに、普通預金がたまらないうちから定期預金を作り、使える預金が足りなくなる。こうなると、体力はあるのに疲れやすくなったり、カゼを引きやすくなったりします。

次に、㋑が狂った場合です。本来の将軍は邪気 (問題) をその身一つに引き受けてくれますが、狂った将軍はそれをしません。男らしくない、So Cool ではないのです。当然、邪気 (問題) は抑止されることなく、必要以上に暴れます。ノミにかまれたようなことが、ライオンにかまれたように、大げさに感じてしまうのです。さしたる疲労ではないのに、症状が大げさで強くなります。

疲労とは

ここまでの説明の中に、疲労とは何かということを散りばめました。邪実と正虚による生命の矛盾、それが疲労の正体です。だだそれが、複雑極まりないために、捉えどころのない概念になっているのです。その複雑さを、ここまで出来るだけ分かりやすく説明したつもりです。

肝・脾・腎すべてが関わることが分かると思います。

複雑極まりなさを、あらためて列挙してみましょう。

  • そもそも疲労とは、自覚できるとは限らない概念です。感じる疲労と、感じない疲労があるのです。「火事場の馬鹿力」を出しているときは疲労を感じませんが、出し終わったら疲労を感じるのです。
  • 疲れたと感じなければ、疲労は取れることはありません。骨が折れているのに痛みを感じないようなものです。
  • 疲れたと感じればこそ、ジッとしていたいと思ったり、気分転換に散歩に出かけてみたいと思ったりするのです。
  • 疲れたと感じすぎると、動きたくても動けなくなります。
  • 疲労は、疲れたという感覚になるとは限りません。「眠たさ」として自覚できれば理想的です。疲れれば疲れるほど、早く就寝し、疲れれば疲れるほど、深い眠りになります。
  • 過度の疲労は、疲れているのに眠れなくします。しかし、疲れているのでジッとせざるを得ません。
  • 疲れたと感じなければ、他の症状を出して、体は動きにブレーキをかけようとします。代表的なものは痛みです。
  • 疲労があるのに、疲れたと感じず、元気だと感じるのが、あらゆる病気の温床となります。

肝臓はコンピューター

こうした複雑極まりなさは、いかに肝臓が体の調整をきめ細かにやってくれているか、の裏返しでもあります。コンピューターといってもいいかもしれません。コンピューターのような複雑な機械が世の中の秩序を維持しているのならば、一朝それが狂うと複雑多岐な現象がおこるであろうことは、容易に想像がつくことです。

ただし、コンピューター (肝魂=将軍) を最終的に支配するのは人間 (心神=君主) です。人間はコンピューターに依存してはいますが、これを作ったのは人間です。心神が主で肝魂は従である。この法則は不可忘だと思います。

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