穀雨…新型コロナの矛盾

【4月29日】
サクラの花は散り、ハナミズキの花が百花繚乱、たがいに艶を競いあい、温かく活動しやすいこの季節は、もはや寒くなくなった廊下の奥の柱で、子供の背を測るのが毎年の行事です。もう、背が伸びているのは3番目の子だけになりましたが。

我々の「こころ」と「からだ」には、日々成長する力が秘められています。その原動力となるのは飲食物 (穀) であり、そこに潤い (雨) が与えられ、のびやかに上へ上へと成長する、それが穀雨です。今年の穀雨は4月19日~5月4日までです。

つい先日、山中伸弥教授がNHKに出演されたのを見ました。日本は世界各国とは別の形で医療崩壊が進みつつある、と言っておられました。最前線で戦う医療者に対する差別・偏見が、医療者の委縮を生んでいる、とのことです。

テレビのコマーシャルでも、コロナと命がけで戦う医師やその家族に対する差別・偏見があると、問題提起をしていますね。

全くその通りだと思います。これから、最前線で働く医療者だけでなく、差別・偏見はもっと身近なものとして拡大していく予感がします。

この現状・惨状を見て感じるのは、「ハンセン病問題」と同じ過ちを繰り返すのではないかという危惧です。ハンセン病 は、うつることのない病気なのに、当時の医療者が「うつる」と誤認し、さまざまな隔離政策がとられ、家族までが差別と偏見にさらされました。

もちろん、新型コロナはうつります。うつるからこそ、人との接触を避ける必要があります。その最大限の努力をおしんではなりません。

しかし、これだけではいけません。自然災害は人の力でコントロールしきれません。手にすくった水は、いくら気を付けていても、どこからか漏れてしまうものです。水でさえかくあるものを、コロナは見えもしないのです。うつることを前提とした対策が、一方で必要なのです。

うつらない対策。
うつっても重症化しないための対策。

これらは双方とも予防医学です。この2つのバランスが必要です。一方に偏っていくと、必ず道を踏み外します。偏った見方…「偏見」が生まれます。

しかし現在、医療専門家と呼ばれる人々は、前者しか言いません。後者に関しては、かならず言葉を濁します。

なぜでしょう。

そもそもカゼは、誰でもかかる病気です。一生で50回くらいは経験する、あまりにも ありふれた病気です。その病気に、我々はどのうように対処してきたでしょう。

放っておいても治る。その組みやすさに、現代医学では「感冒科」という専門の科がありません。どのような生活習慣ならばカゼを引きにくいのか、もしくはカゼが治りやすくなるのか。そんな大切なことを研究することなく、意味もない抗生剤を出したり、抗生剤を出してくれない病院に不信感をもったり、服用しても1日治癒が早まるという程度のタミフルなどを「飲まなければ治らない」かのような風潮を流したり、そんなことを我々は繰り返してきたのではないでしょうか。

「津波なんか来るもんか」…そう我々はあの惨事以前は思っていました。でも、それは間違った考え方でした。昔からの言い伝えがあるのだから、それを忘れてはならなかったのです。

パンデミックも、かつてペスト (黒死病) というものがあったと、学校で学びました。そういう世界的大流行が起こったという歴史を、もっと重視すべきだったのです。新手の感染症は、すぐには薬がつくれません。そんなことは分かっていたはずなのに、なぜ、「うつっても重症化しないための対策」を研究してこなかったのでしょう。

答えは、薬に依存してきたからです。天然痘は世界から消えました。結核は死の病ではなくなりました。その偉大な功績の上に、現代医学はあぐらをかいてきたのではないでしょうか。それを支える我々国民も、それを持ち上げてきたのではないでしょうか。薬に頼らずにカゼを治す…という練習をやってこなかったのに、本番で成功するはずなどないのです。

「腹八分目に医者いらず」…言い古された言葉です。しかし、ぼくは今こそこの言葉の含蓄にこうべを垂れるときであると思います。ぼくは、カゼをひかない条件とは何か、カゼをひいてもすぐに治る条件とは何か、について20年間考えてきました。たどり着いたのはこの言葉です。

まちがっているかもしれません。エビデンスもありません。しかし、医療者の多くがやってこなかった努力を、ぼくはやってきました。そうした努力をする人がたくさん出てきたら、かならず方法が見つかると思います。先ほど言うように、カゼほど多く見られる病気はないのです。研究し放題です。

やっても損のない方法に、エビデンスが必要でしょうか? 医療崩壊を避けようとすれば社会崩壊を起こしてしまう矛盾… 今の世の中には何かが足りません。

うつることを前提として考えざるを得ない感染症に、我々は初めて出会いました。うつることが前提ならばみんな条件は同じです。差別・偏見が起こるのは、病気を「人のせい」にしているからです。「人をきたない」と感じてしまう医療が、正しい医療だと言えるでしょうか。ハンセン病問題と、いかほどの違いがあるのでしょうか。寄り添いあって生きることこそ、医療の基本であり、人のサガではないでしょうか。

「うつらない対策」に偏りすぎると、矛盾が必ず起こります。「うつっても重症化しないための対策」に偏りすぎても、矛盾が必ず起こります。その中道が我々の歩むべき道です。ヤジロベーには両側に重りが必要なのです。しかし、「うつっても重症化しないための対策」を打ち出せる科学者がいません。だからこそ僕は、「腹八分目に医者いらず」を提言するのです。

人のせいにばかりすることだけは、避けられるのではないでしょうか。

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