立夏…新型コロナ追記

【5月6日】
春を知らせた桜の花も、あっという間に葉桜となり、鳥のさえずり朝日のかげに、実を見出して夏は立つ。庭に立つこの桜の木は、鳥が種を落として自然に生えた山桜です。春は花を楽しませてくれ、いまはかわいらしい実をつけていますね。もちろん野生種なので食べられません。残念ながら。

いよいよ立夏となりました。今年は5月5日~5月19日が立夏です。

国が指摘する基礎疾患を持つ方が重症化しやすい、という情報が、「持病」のある人は重症化しやすい…と拡大解釈され、そのストレスで体調を崩す方がおられます。

興味深いニュースを耳にしました。神戸市立病院が外来患者1000人を血液検査し、新型コロナの抗体の有無を調べたところ、33人がすでに抗体を持っていたというのです。計算上、4万人に感染歴があったとなるそうです、

事実はこれだけです。しかしここからいろんな推測ができます。

ぼくがまず思ったのはこうです。

●外来患者であるということは、「持病」を抱えておられる患者さんが相当数いたであろうこと。
●選ばれた外来患者は、新型コロナにかかったという記録も記憶もない方々であるということ。
●4万人のなかに「持病」を持つ人が何人いるのだろうか、ということ。

つまり、持病 (基礎疾患に限らない) があるかないかは、新型コロナで重症化するかしないかの指標にはならないかもしれない…という可能性があります。少なくともこの33人は、病院に通うほどの状態でありながら、新型コロナを抑え込む免疫力を持っていたのです。

これまで、基礎疾患だけでなく、持病のある人すべてが重症化するのではないかという捉え方をする人がいましたが、これは顕性感染者において言える傾向であり、不顕性感染者においては分かっていません。不顕性感染者がどれだけいるかという視点がなかったように思います。

顕性感染・不顕性感染について、少し説明します。

ワクチンができないという前提で考えます。これは危機管理という観点から非常に重要です。とらぬ狸の皮算用になっては、すべてが狂ってしまいます。

本ブログで常に言うところのものは、
①感染のリスクを最大限に下げる。手洗い・うがい・マスク・3蜜・無用外出に留意することです。
②もし感染した場合、不顕性感染となることができる生活習慣を実践する。ここでいう不顕性感染とは、ウイルスに感染しても症状がでないまま、抗体が知らぬ間にできていて治癒となることです。

この2つを同時に行うことが理想的であるということです。

「感染リスクを最大限に下げる」ということは、医療崩壊を起こさないようにするためです。少しづつ感染者が出れば、ベッドが足りなくなることはありません。

しかし、このやり方のみでは、本ウイルスの流行期間を長期化させることになり、顕性感染者…つまり発症者 (発熱などの症状が出る人) の数は変わらないことになります。

このウイルスは、世界人口の大多数が抗体を持つまで終息しないと言われています。早かれ遅かれ、いずれ順番に回ってくるのです。普通のカゼは、冬に流行すれず温かくなると下火に、夏に流行すれば涼しくなると下火になるものですが、コロナはまったく弱りません。

そういう前提で考えるならば、そして、医療崩壊を防ぐことを主眼に考えるならば、流行期間は長期に渡れば渡るほど安全といえます。政府がやろうとしている真意はここです。

しかし、不顕性感染となるのか、顕性感染となるかの違いも大切です。不顕性感染者の割合が増えれば増えるほど、ベッドには余裕が出るからです。ウイルスを持っていても発病しないならば、みんな元気です。

流行期間は長ければ長い方がいい。かつ、不顕性感染でまったく症状が出ない人が多ければ多い方がいい。これが、国を、そして世界をあらゆる意味で守るための道筋であると思います。社会経済を再起動させるためにも重要です。

しかし、不顕性感染 (免疫の強化) で乗り切るためにはどうすればいいのか、それを示さなければなりません。しかし、それを示すことのできる科学者がいません。本ブログでは、「腹八分目に医者いらず」という古言を省みるべきである、と繰り返し主張しています。

今回の調査は小規模ではありますが、不顕性感染で乗り切るための条件に、「持病の有無は関係ないのではないか、ということも考慮に入れるべきであることが示唆されます。

ますます混迷を深める新型コロナ社会。ただでさえ目に見えないウイルスですが、不顕性感染者がどれだけいるかも目に見えません。だから分かりにくい。分かりにくいんだけれども、もしも感染した場合、どうすれば不顕性感染者になれるか、ということを、これからの研究課題の主眼にしてよいということが、ハッキリ見えてきました。ワクチン開発と両輪で進めるべきです。

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以上の文章をSNSに載せたところ、以下のご批判を受けました。

厚労省は重症化しやすい基礎疾患等として「糖尿病•心不全•呼吸器疾患•透析加療中•免疫抑制剤や抗がん剤を用いている•妊娠」を挙げ、高齢者を加えて重症化しやすい者としています。https://www.mhlw.go.jp/content/000614592.pdf
通院している=重症化しやすい、ではありません。

神戸市立病院の外来患者1000人のうち、すでに抗体を持っていた33人は、重症化しやすい疾患等や高齢者ではなかった可能性があります。

また、不顕性感染者であっても、顕性感染者と同様にウイルスをばら撒くのですから、重症化しやすい人に感染させてしまうリスクを考えると、「不顕性感染で乗り切る」というのは不適切であると考えます。ワクチンができたらできるだけ多くの人が接種して抗体を持つ、というのが科学的に望ましい態度であろうと思います。

このような指摘を受けやすい文章であることは承知いたしております。
しかも このコメントは、どこも間違っていません。こうなれば一番いいのです。
このご指摘に対する僕の返信を以下に転載します。

基礎疾患を持つ人や、高齢者が重症化しやすいということは認識していますが、ここでは論じていません。 (他の記事で、なぜ重症化するのかということも論じています。)
国が指摘する疾患と「持病」とが混同されているのは、この場に限ったことではありません。

ここで言いたいのは、不定愁訴としての「持病」のある人のことです。病院に通う人なら、少なからず「持病」があるだろう、という憶測が前提です。

怖いという気持ちが「持病」の解釈を広げ、持病があるからというストレスで体調に影響が出ている人が多くおられます。

「できるだけ感染を広げない」という考え方は当たり前のことです。この考え方を引き続き続ける、というのは、本文でも主張するところです。修飾語と被修飾語の関係がハッキリするようリライト しておきます。感染しない努力をできるだけするならば、みんな条件は同じではないでしょうか? 名指しで「こういう人は重症化しやすい」と言い切りすぎて、偏見を生まなければいいのですが。注意しなければならないのは、みんな同じです。

もし、ワクチンができなかったらどうしますか? ワクチンができないことをも視野に入れるのが、科学的に望ましい態度であり、危機管理を重視した視点だと思います。取らぬ狸の皮算用になってはいけません。本文は、ワクチンができていない今、を前提として書いていますので、これは言葉足らずですね。リライトしておきます。

論点を本文の内容に戻しましょう。持病があろうがなかろうが、体によい生活習慣に留意すること。そういう大切なことが、感染しないための努力と同時進行で、行われていないのではないでしょうか。

過度に恐れることは、体にいいとは思えません。ストレスが大きければ、感染したときに症状が重くなる可能性があります。

それよりも、食べ過ぎる (命をむやみに奪う) ということに「畏れ」を抱く。「恐」はストレスでが、「畏」はストレスではありません。

以上の内容は、ぼくの他記事で説明はしていますが、繰り返すと内容が膨大になり、論点がぼやけるので、こういう記事文章になっています。

「感染リスクを下げる」以外にも気を付けるべきことことがあり、それが見過ごされているのではないか、ストレスをむやみに助長していないか、という問題提起をしたつもりです。

一部分だけが強調された形になり、誤解を招いたようです。申し訳ありませんでした。コメントそのものが記事内容を補足するとてもいい内容となりました。勉強になりました。ありがとうございました。

もうすこし、補足させてください。

いずれ大雨がくるという危険がある状況を想像します。
もちろん堤防を強固にすることが必要です。もう一方で避難場所の確保も必要です。
避難場所の確保は、強化された堤防を信じることなく、決壊し家がなくなることを前提としたものですが、だからといって これを批判するのは誤りです。

この「避難場所の確保」に相当するものが、ここでいう「不顕性感染」です。その方法が新型コロナ社会には欠落しています。つまり免疫の強化の方法です。そこが論点であり、持病を苦にする「取り越し苦労」は免疫を弱くするのではないか、「腹八分に医者いらず」が「避難場所の確保」に相当しうるのではないか、という提言です。運動療法がテレビで盛んに報道されますが、やると体調が悪化する人もいます。

「いつまでも あると思うな親と金」とも言いますね。親は明日にもいなくなるかもしれないと思っておかなければなりません。それでなお、長生きしてくれれば、なお有難いのです。

昔は津波があったかもしれないけれど、きっと津波なんか来ないよ…。あの惨事以前、我々はそんなことを心のどこかで思っていました。ワクチン開発の努力は最大限に続けつつも、ワクチンが開発されるだろうと期待してはならないのです。

誰が感染しやすいとか、誰が重症化しやすいとか、そればかりを強調しすぎると、健康を害するストレスになるだけでなく、差別・偏見の芽にもなりかねません。現に、命をかけてコロナと向き合っておられる医療従事者が、その標的にされています。「堤防の補修」以外の方法が見えていないから、こういう矛盾が起こるのではないでしょうか。

まず第一義にしなければならないのは「避難場所」に相当するものを、みんなが真剣に考えることだと思います。その視点がこの社会にとぼしい。「堤防」は、ワクチン開発の努力・感染しない努力であり、この視点はこの社会がすでに持っています。バランスがとれていない。だからこんな誤解を生じるのです。一人の誤解ではなく、社会全体の誤解です。

水に家が流されたとしても、命が助かればよい。堤防と同じくらい、避難も大切である。こういう考え方は、水害に何度も遭った経験があるからこそ分かるのかもしれません。でも、コロナは初めてです。経験を積まなければ分からないのかもしれません。しかし、経験がなくても、命は助かるべきなのです。

コロナ問題は、みんなにとって とても大切なことだけに。少々くどくとも。

コメント

  1. M より:

    コロナについて、高齢であってもなくても、持病があってもなくても、熱が必ずしも37.5以上でなくても、なぜ今、体調が悪いのか、何が悪くさせているのか、自分の偏ったコロナ情報のストレスか、検査ができない恐怖心か、電車通勤の恐怖心か、本当はコロナなのか。コロナであってもなくても、自分で体調回復できる何か術があれば知りたいと思います。      手洗いうがい、人混みをさけるだけでは、何か払拭できません。家族や会社、生活の中で人との接触をなくす事はできません。全ての物を除菌することもできません。リスクは必ずある中で、どうしたら自己免疫を上げ、自分の力で向うことができるのか。不安に支配されないための具体的な何かを、違うところに求めています。

  2. 眞鍼堂 より:

    >>1
    本当ですね。
    「具体的な何か」を一緒に探しましょう。
    そこに目をつける人が増えてくることだと思います。

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