コロナ社会の差別と偏見、そして危機管理

かつてスペインかぜというものがありました。人類史上最悪の感染症の一つと言われるほどの死者が出たようです。大正時代ですから、そんなに昔ではありません。今と同じように学校閉鎖・外出制限・マスク着用などが行われ、流行には波があって、第1波~3波まであったと言われます。ワクチンをつくれる時代ではなく、感染により抗体を獲得することで終息し、その終息には3年近くの歳月がかかったようです。

歴史に学ぶならば、今回の新型コロナでも、ワクチンができるかできないか分からない現時点では、終息するまでに時間がかかるという想定だけは必要でしょう。

こんなニュースを耳にしました。県外からの車の流入に自粛を呼びかける和歌山県で「県内在住確認書」が交付されるというのです。県内に住みながら県外ナンバーの車を所有する方が、いやがらせを受けることがあり、それが理由のようです。

現在、医療の現場でコロナの最前線に立って、命がけで治療にあたる医療者のみなさんと、そのご家族が、差別・偏見の目にさらされているということが問題になっていますが、これと類を同じくするニュースであると思いました。こんな裾野にまで、人心の不安不寧が広がっているのか、との思いを強くします。

重要な観点があります。新型コロナは、自然災害であるということです。

水害で考えてみましょう。もうすぐ豪雨が襲ってくる。そう分かっているならば、やらなければならない対策は2つあります。

①堤防をつくり、それを高く、強固なものとし、水を一滴も漏らさない対策。
②避難場所を確保し、避難訓練を怠らない対策。

この2つは、どちらも重要です。どちらが欠けても命が危険にさらされます。水害が頻繁に襲う昨今では、とくに②の重要性が指摘されるようになり、これを怠ることは許されないという認識が広まりつつあります。

では、新型コロナではどうでしょう。もうすぐ、さらなる流行が想定されるとします。
①に相当するのは、いま、みんなで頑張っていることです。強固な堤防でウイルスを封じ込める。不要不急の外出を控え、3密を避け、手洗い・マスク・うがいを励行する。
②に相当するのは…。これがありません。堤防が決壊し、ウイルスの波が押し寄せる。ワクチンもない。最悪の状況下で、身を守る方法がないのです。

もうすぐ河川の増水があると分かっている。堤防を全力で強固にした。ところが、何があろうと川のすぐそばにある家にとどまり続けなければならない。避難する場所がない。そんな状況で、落ち着いていられるでしょうか。

そんな落ち着きのなさを、いまの社会に感じるのです。それが差別・偏見として表れているのではないでしょうか。

たとえ家が流される恐れがあったとしても、命さえ助かるならば安心できるのです。

コロナ社会iにおける②とは、具体的に何でしょう。最悪の状況下で、命を守るための逃げ道…その道とは、たとえ感染しても症状がでないまま抗体をつくって治癒に至る道筋です。そのためには免疫を強化するしかありません。ただし、免疫は謎に包まれたシステムで、どうすれば正常に働くのか、どうすれば強くできるのか、よく分かっていません。

もし免疫を強化できれば、たとえ堤防が決壊してウイルスが押し寄せるという最悪の状態になったとしても、「不顕性感染」として、症状がでないまま抗体をつくって治癒となることができます。そういう方が既にたくさんおられると言われています。どうすれば不顕性感染になれるのか。早急に研究する必要があります。

不顕性感染はウイルスをばらまくと批判する人がいます。しかし堤防が決壊した状況下ならば、それはもはや重要な意味を持ちません。感染しない努力を最大限にしたうえで、それでも不本意ながら感染してしまったときの最後の切り札…そういう意味での「不顕性感染」という言葉にまで、差別と偏見の目を向けるとは、どういうことでしょう。不本意にして家が流されたとしても、「命を守る行動」をとる。それは、今から不顕性感染になれる体を作っておくことではないでしょうか。

もちろん、ワクチンができれば堤防は決壊せず、そういう必要はなくなります。それが理想です。しかし、ワクチンはできない、堤防は決壊する、という想定が必要です。ワクチンを作る専門家はできると信じて努力する。それ以外の研究者はワクチンを想定せずに道を探す。こういう危機管理のスタンスが必要です。サーズもマーズもコロナウイルスですが、ワクチンはできていないと聞きます。

僕は鍼灸師ですが、②について20年間考えてきました。感染するという想定のもと、不顕性感染になるにはどうしたらいいのか。たどりついたのは「腹八分目に医者いらず」です。ぼくの治療院にはインフルエンザをはじめとするカゼの子供が、それを治してもらうために受診しに来ます。そういう中で、経験的に学んだことです。

新型コロナウイルス偶感…流行の意味するものとは」に詳しく説明しました。

「腹八分目」なら、誰が実践しても体調を崩すことはないでしょう。よくテレビで運動方法が放映されていますが、運動療法は加減が難しく、体調を崩す人が必ず出てきます。高齢者や持病を持つ人に、とくに見られるはずです。運動療法が重要なのは言うまでもありませんが、万人向けではないのです。方法は、万人向けでなくてはなりません。コロナ問題は地球人類みんなの問題だからです。

自分でできる4つの健康法…正しい生活習慣を考える」に詳しく説明しました。

もちろん僕が考える方法が、絶対に万人向けとは言い切れません。ただし一つ言えるのは、②を研究する人が、ワクチンを研究する人ほどに、もっともっと増えなければならない事です。

最悪の事態を想定し、それに対する解決方法を探し出すことは危機管理の基本です。それがシッカリしていればこそ、われわれは安心し、落ち着いて自分自身の日々なすべきこと…堤防を強化すること…に集中できるのです。そんなふうに集中していれば、他人のやることなど一々目に入ってこないでしょう。差別・偏見は他人のことが気になりすぎているのです。

しかしそれは当たり前です。毎日のテレビでの報道は、堤防を強固にせよと言うのみで、まさかの時どこにどう逃げるかという方向を示すことができていないのですから。この時点ですでに「偏りが見られる」のです。落ち着いていられる環境ではありません。

社会経済の崩壊を食い止めるには、人心の安寧が不可欠です。

堤防を守る最大の努力をしつつ、かりに最悪の事態になったとしても助かる道がある。そう思えるだけで、もっと大らかで温かく、優しい心を持つことができるのではないでしょうか。そしてその心は、みんなの絆だけでなく、社会経済の絆を、そしてきっと免疫というネットワークをも、強固なものとしてくれるのではないでしょうか。

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