小雪…隠れた疲労と新型コロナ

立冬…新型コロナと「土」」でお話ししたように、11月初旬から右足三里の虚が見られました。が、患者さんの養生と治療の甲斐あってか、見られないことが増えました。しかし、これで安心できるわけはない…との直感から、気を付けてみていると、新たな反応を見つけました。

右太白・右公孫の虚

新たな反応とは、11月24日に見つけたものです。右太白・右公孫の虚です。これがほとんどすべての患者さんに、一気に出ていました。

ここでいう虚の反応は、左右を見比べての相対的虚ではなく、穴処に手掌を当てたときに感じられる「奪われる感覚」がハッキリしたもので、絶対的な虚を示します。実の反応も同じく、「跳ね返す感覚」がハッキリしたもので、絶対的な実を示します。

右三里は正常です。右太白の虚も、右三里と同様、かなり弱った患者さんに出てくる印象です。つまりハッキリとした脾虚です。しかし、患者さんの自覚はそんなでもない。これは何を意味するのか。

右公孫の虚が、衝脈の弱りを意味するとするならば、衝脈は生命の空間的な主軸であり、生命が求心力を失い、遠心的に拡散しようとしている可能がある…。

背部を診ると、右肝兪から右脾兪を中心とした実、左意舎を中心とした虚の反応です。

疲れが押入れに入る

そもそも、この右実左虚の反応は、過去に、初期ガンの患者さんを診ていた時に見つけました。自覚症状は何もなく、検査でたまたまガンが見つかった方です。この反応は、「疲れが押入れに入っている」ことを意味すると、その時から仮定し、たまにその反応が見られる患者さんに対しては、そのことを注意し、反応を消してきました。

背候診で、右に実があり左に虚があるということは、左右ともに病んでいる、という意味で、左右のバランスが悪いなりに取れた状態であると考えています。バランスがとれているので自覚症状が出ないのではないか、という直感から、そういう視点で注目してきたものです。

さてそもそも、疲れが押入れに入る…とは、どういうことでしょう。

たとえば引っ越しして、部屋が荷物でいっぱいになっている。このままでは食事をとるスペースも寝る場所もありません。だから、ひとまず押入れに放り込む。それで、日常生活はとりあえず可能になります。

人間には「急場を乗り切る力」があります。火事場の馬鹿力みたいなものです。たとえば子供が高熱を出して、お母さんが3日も看病している。でもしんどくなりません。お母さんがしんどくなったら、共倒れになる。それを防ぐために、そもそも押入れのようなものがあって、とりあえず疲れをそこに放り込むのです。

そして、その急場が済んだら、少しずつ押入れから出して、片付けなおします。火事で力を出してもその時は何も感じない。でも、あとから疲れを感じて、体を休める。これは、人間が生きていくうえで、急場を乗り切るうえで必要な働きです。

ただしこの働きは、そういう時しか使ってはいけません。しかし、急場でもないのにその押入れを使ってしまっていることがあるのです。もし、それが10年、20年と押入れを片付けることなく、そこに疲労をしまい続けたら…。開けてみると驚くようなものが出てくる。これが大病です。

たとえば、テーブルの上や床が散らかっていたら目につきます。目につくものはすぐに片付く。でも押入れの中って目につきにくいですね。だから片付きにくい。中で腐っていてもカビが生えていても、部屋が片付いていれば、それできれいだと感じてしまう。
押入れに疲れがあるかないか。その診断が、背中のツボである程度分かる。そして、その反応が、いま、ほとんどの患者さんに出ているのです。

新型コロナという「気候」

どういうことでしょう。一度にみんなが同様の反応を起こすのは、気候の変動があった時です。しかし気候の場合は、冷えの反応だったり、熱の反応だったり、気候の寒暖を連想させるような反応です。疲れが押入れに入るなど、気候と言えるのか?

普通じゃない。やはり、新型コロナが頭をかすめるのです。

新型コロナは押入れに入る

新型コロナは、インフルエンザに比べて感染力が比較にならないほど低い。だがインフルよりも死亡率が高い。これは当初から言われていたことですが、ぼくは今でもそう思っています。

ちなみに、現在の感染者数の統計は信用できません。インフルのように、症状が出て、なおかつ病院に駆け込んで陽性が判明した人のみを感染者とすべきです。でないとインフルとの比較ができず、統計を出す意味が薄れます。

NHKスペシャルでは、咳や発熱などの症状は大したことがないのに、念のためにレントゲンを撮ってみると、すでに両肺が白くなっている…という特徴が新型コロナにはあると言っていました。肺炎は普通、片肺から白くなるらしいです。もう片肺が生きているから、息ができる。鼻でも両方一度には詰まりませんね。

重症度に見合う「症状」が出ない。

例えば骨折は重症です。だからそれに見合う痛みがある。見合う症状があるからこそ治るのです。もしその痛みという「症状」がなければ、骨が折れたことに気付きもせず、骨が折れたままで動き続け、そしてある日、歩けなくなるでしょう。

症状さえあれば、体を休めるので肺炎になどならないのです。水面下で肺炎へと進行し、そして一気に症状が現れ、重症化する。このときすでに治療の施しようがない。

「押入れ」の話と符合します。

こういう兆候を示す変化が、ぼくの患者さん全般に見られ始めた。コロナでなくとも、気を付けなければなりません。

今なすべきこと

対処法です。「先生が言うような押入れに、自分ももしかしたら疲れをためているかもしれない…」そんな気持ちを持ってください。油断をしないことです。自分の体は自分で分かっているなどと思ってはなりません。疲れていても感じないことがある。

実は、この言葉を患者さんにかけるだけで、いま言う反応が消えてしまいます。ほんの少し、自分自身にそう言い聞かせるだけで、大きな変化があるのです。コケるかもしれない…と思っている人は下を見て歩くのでコケません。コケるわけないと思っている人がコケるのです。

できてると思った時ができてないとき、できてないと思った時ができてる時です。これは人生を見つめている人なら、誰もが知っている法則です。謙虚さ。この法則に従っていれば、気は臍下丹田に下がり、体力が漏れません。

11月27日からは、太白虚・公孫虚・左意舎虚・右肝兪~脾兪実の反応が消えました。
かわりに、右合谷虚 (あるいは右太淵虚) ・右肝兪~脾兪実・左脾兪実という反応が出ています。これも同じ意味を持ちます。右合谷は真気の虚を示すかと思われ、左右の脾兪が同時に実の反応になるのは、陰陽がそろっており、悪いなりにバランスが取れてしまっています。つまり、自覚症状が消える。

新型コロナの意味を考える

新型コロナとは何を意味するのでしょう。

ぽくには、ここ数年の異常気象による疲れと弱りの蓄積が、世界規模で人類にあり、それに付け込んで蔓延したウイルスに思えます。ウイルス自体はそんなに強いものではない。ただし、我々の体が、自分でも気づかないうちに弱ってしまっている。みんなの体さえ強ければ、中国で話題になる程度で終息したのではないか。いままでも、この手のウイルスは生まれていたが、我々の体力に阻まれて広がれなかっただけではないか。

異常気象が原因とすれば、それは温暖化の影響ということです。温暖化の原因は何か。人間がもつ過剰な欲が、地球を熱くした。そして、小さな地球ともいうべき人体もまた、高熱に焼かれてしまうのでしょうか。

ここを正さない限り、今般のコロナがたとえ終息したとしても、また新たな、想像もできない何かが起こるのではないか。自然をなめてはいけません。

足るを知る。なにごとも腹八分目。この時代を生きるキーワードです。

この期間、よく用いる穴処は右内関。ほとんどがこれです。

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